☆ 夏のnota bene 14
2016.08.28
* そして、夜を聴く。「眼は聴く」はクローデルだったが、そのように夜を聴く。
聴く。これもまた、フランス語では、écouterという動詞だから、é-の系列かな。星 étoile, 希望 éspoir とé-の強迫は連鎖するのだと言おうか。いずれにしても écouterもまた、éveillerと並んで、最重要動詞であることはまちがいがない。聴こうとすると、夜の低さに、不可視のノイズ、(ダーク・マターのような)ダーク・ノイズがまるで湧き上がる霧のように響いていることが感じられる。このダーク・ノイズを超えていきたいのだが、「聴」を澄ませば澄ますほど、それはより濃厚に立ちのぼる。そして、どんどん重さを帯びてくる。
聴くことécouteについては、もうひとりのわが秘密の導師Jean Kleinに負うところが大だな。かれは言う、「聴くことécoute において、聴くべき対象はなにもない。あなたは、聴くことそのものという非ー状態non-étatに、開けのなかにいるということなのだ。」(『Qui suis-je?』)
Kleinは別にダーク・ノイズについて語っているわけではないが、いまのわたしには、この立ち籠める「霧」のような、「靄」のような「夜」の重さを抜け出ることは難しい。きっとこの重さに、スペースを与えることができればいいのだが。ここでの「スペース」とは、意識の方向性にほかならない。「霧」に空間を与えかえしてあげるのだ。ほら、広がる。ほんとうに、「意識」なるものは不思議。なにもないのに、すべてがそこにある。そこに、ね。