破急風光帖

 

☆ 夏のnota bene 2

2016.08.02

*(もうひとつのimage)ふと気がつくと足元が寄せてくる波にあらわれている。波打ち際を歩いていたんだ。

 夜の波。冷たくはない。Doux. いつか強大な波となって、おそわれ、(沖へと)連れ去られてしまうのかもしれないが。いまは、踏み出した足が砂にのめりこんで、ときおりバランスを崩すだけ。遠く湾曲した空間の彼方に、小さな明りが見えるような気がするが、燈台phareなのか。Méta-phare. 「青」の明りだけどね。

(シンクロニシティと言うべきか?)。昨日、nota bene1を投げ上げて、夕方、(やるべき仕事から逃れるように)手もとにあった本をぱらっと開けて(もちろん再読、いや再々々読くらいだが)何気なく読み出したら、そこに、「精神の夜のシステム」という言葉。「そう、文学的想像力は神話的想像力でもあり、それは形而上学のもろもろの偉大な構造を見出します。夜と昼、この二者は・・・・coincidentia oppositorumです。大きなensemble. 陰と陽」。語っているのは、ミルチャ・エリアーデ(『迷宮の試煉』)。わたしの「予感」への「合図/目配せ」、まさにMéta-phareとして受け取っておこうかな。そう、「迷宮」が「夜」の構造のひとつであることはまちがいない。(先週、笠井叡さんからおくっていただいた、細井英公さんによる笠井さんの写真集のタイトルも『透明迷宮』だったなあ)。(クサーヌス読まなければ・・・)。

 


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