★ 日日行行 (28)
2016.03.20
パリに来ています。昨日、国際哲学コレージュの「French Theory au Japon」のシンポジウムが朝の10時からまる1日行われました。わたし自身は、最後の「まとめ」役のコメンテータとして短いスピーチをしました。
これは、西山雄二さんの主催。会の詳細は、後に、コメンテーターをつとめた大池さんの報告ブログはこのUTCPサイトに発表されることになっていますので、そちらをお読みください。
星野さんによるリオタールから、桑田さんによるバルトなどを経て、西山さんのデリダまで計6本の発表が並びましたが、そのうちの4本にわたし自身の名前が言及されることになって、なんだか、自分の半生を振り返っているような、奇妙な複雑な思いで聴いていました。コメントでも言いましたが、わたしにとっては、これは「セオリー」ではなく、まあ、「エクリチュール」というものであったのでしたが、それはともかく、たしかに、わたしの知的な人生というものは、この「フレンチ・セオリー」というものによって、歴史的に決定的に「手術され」たのだったと、ーーーまあ、もちろん、それに対して、Oui、と言うのですがーーーーいささかパセティックでもあったかな。でも、この「先」にどうしても行かなければならない、ここにとどまっているわけにはいかない、という思いもまた強いものがありました。厳しい仕事ではありますが、それを少しは引き受けなければならないと思っています。