★ 日日行行 (20)
かくて、66歳ということになりました。なんだか奇妙な感じがします。もう歳をとることにまったく意味がないという感覚と、いや、これからこそ(あるいはようやく、かな?)1年が過ぎたことがそれぞれ特異的に貴重なことに思われるというような感覚と両方が同時にある。自分が「時間」として存在していることを意識すると言ってもいいかもしれません。存在 と 時間ではなく、存在・時間みたいな。
4日木曜に青山学院大学の大学院の授業の補講というか、番外授業をやったのですが、そのあと出席してくれていた学生7名と打ち上げ。そこで思いもがけず、学生たちから誕生祝いの花束(紫のチューリップ)をいただいて感動しました。「紫」がわたしの色なのだそうです。いいですね。
続いて昨日は、UTCPで小さな会を開いていただきました。定年前は、もう何年にもわたって、この時期に、年度末の打ち上げも兼ねて、パーティを開いていましたが、さすがにやめたあとでは、と思っていたのですが、UTCPそしてIHSのスタッフのみなさんの後押しで、会を行いました。5日に行ったので、日にちを間違えて今日(土曜)に駆けつけてくれた人もいたみたいで、この場を借りて、連絡が行き届かなくてごめんなさい、と申し上げます。
このように若い人たちに囲まれて、話しをしながら、人生の節を折り返していくことができるのはしあわせです。気にかけてくださったみなさま、ありがとうございました。
このところ考えていることは、次の仕事のための「形式」ということですね。制度から少し離れて、あくまでも自分の精神にとっての形式とはどのようなものなのか、それを考えみなければならない、そんな思いです。その形式へと精神を追い込んでいかなくてはいけないのではないか。これが、66歳のまず最初の課題なのかもしれません。