破急風光帖

 

★ 日日行行 (14)

2016.01.10

★ ダンスということになると、昨年末に刊行された雑誌『ダンスワーク』に、なんと昨年3月のわたしの最終講義のときのダンスについての「評」が載りました。

 書いてくださったのが関根麻郎さん、存じあげていない方なのですが、その人が、「小林康夫教授 最終講義におけるパフォーマンス」というタイトルで1頁の評を書いていて、もう1頁は踊るわたしの写真。山田せつ子さん、工藤丈輝さんといういっしょに踊ってくれたダンサーの人たちについてではなく、あくまでわたしのダンスに対する評でした。
 関根さんは、「小林氏の動きは、退官する人の足腰とは思えないものではあったが、もちろん技巧的にはどうこう言うものではなく、舞踏や創作ダンスの一般向けワークショップや講座を何度か熱心に受けたあとの発表者のレベル、というようなものであったと思うけれど、手の指先やつま先まで意識の行き届いた、丁寧で、そして大きなダンスであった」と書いてくれています。こう言っていただけるなんて、ありがたいこと。しかも関根さんはそれに続けて、ジャコメッティの「歩く男」が連想されたとまで言ってくれていて、いや、その1年前に駒場でジャコメッティの「終わりなきパリ」の展覧会をオーガナイズしたわたしにとっては、これ以上のオマージュはありません。
 でも関根さんのいちばんの問いは、小林はいったいなんでこんなことをしているのか、ということ。「ただ1点、氏が本気で踊っていた」とまとめたうえで、かれは、それを「氏はやはりただ踊りたかったのだろう」と書いてくれています。そのとおりです。本気でただ踊りたかったのです。
そしてそれにつけ加えれば、ダンスこそ、この地上における人間の生にとっての「最高のもの」であると思っているからです。それを自分の身体において確認したかったのだと思います。
 (おかしいですよね?挑発的に言うならば、たとえば「正義」というような至高の理念よりも、ある意味では、究極なのだ、と言いたいのですけれど。もちろん、コンテンポラリーも含めて、これこれのダンスという意味ではありません。「身体」という「時間」の問題なのだと思います。)
 いずれにしても、1967年創刊の日本の前衛的なダンスシーンを記録し続けてきている雑誌(季刊『ダンスワーク』72号 2015年冬号、ダンスワーク舎発行)のアーカイヴにわたしのダンスが登録されたというだけで、わたしには、すごい出来事でした。けっしてダンサーとなることなく、あくまで(山形のチラシではじめてこういう肩書きがついたのですが)「哲学者=吟遊詩人」として、踊り続ける覚悟です。
 (「ダンスワーク」に掲載された、わたしの「本気のダンス」の写真をもう一度以下に掲げておきます。撮影者は内藤久義さんです)。

 DSCF1361.JPG


↑ページの先頭へ