★ 訃報
しかし、じつはこの間、悲しい報せもありました。昨年12月に、フランスのアーティストのジャン=リュック・ヴィルムート(Jean-Luc Vilmouth)さんが亡くなったという報せがもたらされました。63歳、わたしより若い。台湾での滞在中に、夜、眠ったままの突然死という報道。
これは衝撃でした。わたしは、かれには、昨年春、京都で会っています。友人の黒田アキさんらと京都の料亭「木乃婦」でいっしょに会食を楽しみました。誰もが言う、あの静かな忘れ難い微笑みを浮かべるかれと穏やかに会話をしていたのに・・あんな元気だった人が突然に、幽明境を異にするとは。
じつは、2014年の10月だったか、わたしは、かれをUTCPに招いています。かれが作成した福島にかかわるヴィデオを上映して、討議するという会でした。だが、ほとんどまったくと言っていいほど、人が集まらなかった。これほどのアーティストを招いて、しかもかれが、福島という日本の問題に映像をもってアプローチしてくれているというのに、人が来ない。わたし、正直に言いますが、恥ずかしかったですね。自分がいる場というのは、こういうことに知的関心が向かわない場なのか、と。その恥の感覚は、京都でヴィルムートさんと会ったときも持続していました。今回、かれの突然の訃報をきいて、その恥は、もはや二度と雪がれることはない、と痛みを覚えます。あれほど、日本だけではない、アジアを愛してくれたフランスのアーティストはいないのではないでしょうか。ル・モンド紙に記事が出て、それが、かれがアジアの地で旅立ったことに特別の意味を見出しているのを読んだとき、かれの仕事がフランスで正当に評価されていることに安堵すると同時に、原発被害の被災地に入って、そこで被災者たちの不思議なランチを企画し、それを映像化しつつ、あくまでも共同体の再生の可能性を考えつづけてくれていたかれの仕事を、われわれはほんとうに理解しているのだろうか、われわれは自分の小さな関心のなかに閉じこもっていて、少しも「他者」を、しかもわれわれの文化を愛し、考えてくれている「他者」を、一個の精神として受け容れていないのではないか、と悲しくなるのです。(かれの訃報は、わたしの山形行きの直後でした。ブログを書くとしたら、これを書かないわけにはいかない。後付けですが、そのことが、あるいは、この間、わたしがブログを書けなかった理由なのかもしれません)。