★ 秋の旅日誌(6)
今朝、パリは快晴。まだまだ強い光がそれでも静かに街に降ってきています。昨日は、荒れ模様。驟雨と晴れ間の繰り返し。夕方、ドラクロアを観るために、サン・シュルピス寺院に行きましたが、晴れていたのに出てくると激しい雨。それが急ぎ足で通りすぎていきます。秋のポエジーが立ちのぼる広場ではありました。
日曜にロンドンからパリに入って、さすが少し疲れが出てぐっすり眠りこけました。昨日は、昼にシュミットさん、ボワソナールさんと会って、来年の日本での展覧会の相談。ボワソナールさんとわたしの、一応、共著という形になっている豪華なアート本『風」の展覧会です。1年後に博多と京都でという方向で検討しています。なにしろ、日本の和歌における「風」をテーマに彼女が作品をつくったわけですから、日本の人々に見てもらいたいという趣旨。協力しないわけにはいきません。でも同時に、イエルサレムやカフカ、さらにはユダヤのゾーハルについてなど、高度な会話が楽しかったですね。かれらは、じつは3年前のわたしのコレージュ・ド・フランスの講義にもずっと聴きにきてくれていたのです。それ以来の付き合いですが、こうして日本とフランス、さらにはユダヤの文化とのあいだに橋がかかるのがスリリングなのです。
夜は、パリ第1大学のマリオン・ラヴァル=ジャンテさんと会食。彼女もアーティストですが、2年前に駒場にお招きしてシンポジウムを行いました。そのとき以来、ドミニック・レステルさんとともに、L'homme débordé というテーマでの共同研究を続けています。昨夜は、彼女の住むモントルイユのレストランで食事したあと、お宅にもお邪魔しました。1年振りの再会だったので、会話は弾みました。わたしにとっては、定年後の自分の仕事の方向性を照らし出してくれている「燈台」のような人です。UTCPで彼女を招いて行ったシンポジウムはわたしにとっては決定的でした。扉をあける勇気というかな。ひとつひとつのことがもっている意味の深さは、それが継続して、「線」になり、「面」になることではじめて見えてきます。自分がどういう「線」の上にいるのか、を確認すること。線というのは、いつも「境界線」なのかもしれませんが、それこそが旅というもののほんとうの意味なんですね。この「秋の旅」ももう終ろうとしていますが、そんなことを、ぼんやりパリの朝の光のなかで考えています。わたし、きっと境界線を行く。ダンスのように危うく、ね。
今夜はたしか、パリの友人たちと日本文化会館で声明を聴くことになっています。Yasuoの分も確保してあるからね、と。パリで声明か、こういう捩れもまた旅の楽しみです。