★ 風光三昧(6)
★ しばらくパリに行っておりました。アカデミックな目的は、この3年間ずっといっしょに「L'Homme débordé」の共同研究を続けているパリ高等師範学校のドミニック・レステル教授との研究打ち合わせ。しかし、それよりももっと強い動機は、夏至を過ぎたころのパリの夏の夜の光を浴びたいということかな。一切、公的資金を使わないプライヴェートな旅でした。
ドミニックさんとは、会って11月頃パリでシンポジウムを開くことを検討したり、かれが構想している「エコロジーのための自由大学」の話を聞いたり。来年、ブラジルの山岳地帯でその最初のステップを踏み出すことがきまっているみたい。
このところは、学生を連れて行き、パリの大学との共同で研究発表集会を開催するというようなことが多かったので、そのような責任を免除されて、ゆったり、ただ「パリにいる」というのは、楽しいことでした。
でも、そんななかから、新しいものへの通路が開かれてくる。今回の収穫は、Marc-Alain Ouakninの仕事かな。ユダヤ教のラビである哲学者ですが、かれの名前が今回会った二人のフランス人から発せられたのが、おもしろかった。ひとりは、4月に東京で会って会食したセバさん。サン・ミッシェル大通りの本屋で本を選んでいるところを、Yasuo だろう、と声をかけられた。背中でわかった、と。近くのカフェでお喋りしているときに、レヴィナスとユダヤ教とのかかわりの問題に話題が振れたときに出てきたのが、この名前でした。そうしたら、それから4日後に会食した、ヴァンサン・シュミットさんが、毎朝、まさにこのOuakninさんのカバラとカフカについてのゼミの聴講にかよっていると。
こうなれば、これもひとつの導き。かれの本を買って読んでみなければならない。たくさん出ているのだけど、まずはLe livre brûlé 、さらには、C'est pour cela qu'on aime les libelluesを買いました。後者の第一部、魅力的でしたね、引きこまれました。かれが学生時代にリュクサンブール公園で出会ったマスターの話。そのマスターの決定的なインパクト。なにしろ、それは、モーリス・ブランショだったというのですから。この本、おもしろいですよ、誰か翻訳しないかしら?!
もうひとつ、たまたま本屋で手にとったある本にひどく驚かされたのでしたが、とてもよく知られているその名前は、秘密にしておきましょう。これまで自分が知っていたのとはちがう人、同じ人でもちがうアスペクトが目に入ってくる。そういう出会いが起こるためには、日常から解放されて、静かに夏の光を浴びているような「空白」le videの時間がなければならない。
そう、その「空白」のために、1周間ほどパリへと退却していたのでした。