★ 日日行行(683)
* さて、今日はどうだったか。冬至を超えて新しい回転へ、と来るべき時間へのエンゲージメントをひとつ課してみたのですが・・・どうなりますかね? 続きを読む |
* さて、今日はどうだったか。冬至を超えて新しい回転へ、と来るべき時間へのエンゲージメントをひとつ課してみたのですが・・・どうなりますかね? 続きを読む |
* 昨日が冬至。もちろん、新年が年の切り替わりなのですが、わたしの精神にとっては、冬至が1年の極で転回点、ああ、またひとつの回転が終わったという気になります。 |
* もうひとつご報告。おそらく今日くらいから各地の書店で、拙著『君自身のアートへ』(水声社、1800円)が発売になります。 続きを読む |
* 11月も終りです。10日からまた更新してませんね。結構、激しい3週間でした。前回で、ほのめかした映像ですが、青山学院大学の教え子のひとりであった齊藤さんに、八ヶ岳の小屋で映像を撮ってもらい、30分ほどのシネマとしてまとめてもらっているところです。 続きを読む |
* で、今日は、神楽坂のセッションハウスで、山田せつ子さんのソロ/ダンス「いま ここに います」を観てきました。4年ぶりのソロ公演とか。1時間のダンス、とても共感しました。ご自分の(人生ではなく)この実存を(振り返るのではなく)いま、ここ、として踊る・・・よくわかります。 続きを読む |
* 今月最初ですね。結構、忙しい日々でしたので。 |
* 昨日はひさしぶりに映画館に行きました。午後、渋谷で少し時間の余裕があって、調べたら、ユーロスペースでアンドレ・ブルトンのドキュメンタリー映像をやるというので、行ってみました。 続きを読む |
* では、留留吾吾(2) 清岡卓行の「氷った焔」ですね。長い詩ですが、10ある断章の9の後半です。 |
* 突然、なんの脈絡もなく、記憶の底なしの底から、詩の2行が浮かびあがります。 ああ麗はしい距離 「距離」には「デスタンス」とふりがあったけれど、わたしには「ディスタンス」。吉田一穂の詩ですね。タイトルは「母」で、このあとに「悲しみの彼方、母への / 捜り打つ夜半の再弱音(ピアニツシモ)」と続くのでしたが、浮かんだときには、後半2行は随いて来てはいなくて、ただ、遠い記憶の彼方から、その「麗しいディスタンス」を越えて戻ってくる言葉がある、そんなことを考えていたのでした。 日日行行、留留吾吾 もちろん、これはアポリネールの詩「ミラボー橋の下」Sous le pont Mirabeau(1912年)のルフラン 「日々は過ぎ行き わたしはとどまる」 Les jours s'en vont, je demeure を踏まえています。そうですね、わたしはいつも、レオ・フェレ作曲のこの詩を口ずさんでますね。 (この稿を、「留留吾吾」第1回としようかな?) |
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