このように、ブッダの教えは、究極的には、世界内存在からの解脱です。
すなわち、「自我という思い」に帰着するあらゆる種類の私有からの離脱であり、同時に、人間の歴史的な共同体からの離脱です。
歴史とはまさに人間が構成した意味の世界そのものなのであり、その「意味」が最終的には、「執着」として自我の「私有」に帰するとすれば、人間を世界に根づかせるものでもあるその構制そのものから脱して、歴史の彼岸に渡ることがそこでは指し示されているのです。
これは終末論ではありません。
西欧の哲学――少なくとも近代における哲学――にとっては、言うまでもなくユダヤ・キリスト教に由来する、終末論の構成は決定的なものです。
西欧における歴史の哲学は、――そして歴史の哲学こそ、ある意味では哲学の究極の「目的」でもあったわけなのですが――顕在的にしろ、潜在的にしろ、終末論的構成のうちに根づいています。
そして、それこそ、非西欧文化の思考にとっては、もっとも異質なものであり、つまりもっとも魅惑的であると同時に掴みとるのがもっとも困難なものでもあるのです。
終末論は西欧の哲学的思考にとっての暗黙の基底、もしくはまさにメタ哲学的な枠組みでもあります。
そこでは、終末という究極の、つねに「来たるべき」時間において、一神教的な絶対の神と人間の全歴史とが出会い、そして人間の「意味」が確定されます。
終末はすべての人間存在に「起こる」べき出来事です。
その終末の絶対的な共同性こそ、西欧の歴史についての思考を限界づけ、包囲しているものなのです。
西欧の思考はいまだに終末論を終わらせ、それと手を切ることはできません。
それどころか、「世界の終わり」は、単なる認識の枠であることを超えて、いまでは日々、世界の人々の生活においてすら、「来たるべきもの」として広く実感されています。
地球環境の危機、遺伝子工学を通じて存在そのものにまで手をつけるテクノロジー、膨大な量のエネルギーの消費、際限なく膨張しつづける資本の欲望……これらはいかに人間が、みずからの世界を、単に「意味」としてではなく、「現実」として、構成しているのかを示すものですが、しかし同時に、こうした高度なテクノロジーによる世界構成が、人間の存在そのものを危うくし、外からの終末ではない、人間の内部からの終末、つまりこう言ってよければ「神なき終末」を準備しているのです。
終末論はすでにわれわれの「現実」です。
現代における哲学的思考のひとつの責務は、この現実化し、一般化した終末論を、――一方的に否定したり批判することなどできようもない以上――脱構築することにほかなりません。
しかし、そのためには、――いわゆる「実存主義」の限界が歴史的に明らかになって以来、われわれはそのことに気がついているのですが――実存という人間にとって本質的な意味の機構そのものを問い直さなければなりません。
なぜなら実存こそが、本質的に目的論的であり、意味論的であり、その極限として終末論的であるからです。
しかし同時に、われわれの実存的な存在様態をそのまま否定することなど不可能です。
問題は否定することでも批判することでもなく、それをそのままにして、なおかつその「彼岸」へと「渡る」ことなのです。
すなわち「終末」という歴史のまだ来ない、しかし来たるべき究極の「時」において、外在的に歴史を終わらせるのではなく、歴史のなかのそれぞれの実存、それぞれの「時」において、内在性のままで――いや、内在性をその経験を超えた極限にまで徹底することによって、と言うべきかもしれません、――実存から、ということは歴史から、垂直に脱出すること、実践的に「解脱」すること――それこそ、現代という危機の時代にブッダの教えがもたらすことができるかもしれない可能性だとわたしは考えます。
しかし同時に、ブッダの時代から二千数百年を経過し、いや、単に時間が経過したというだけではなく、技術・テクノロジーの、まったく不可逆的な、すさまじい発展によって、世界内に存在する仕方そのものが決定的に変化してしまったこの「歴史」、つまり地球上のすべての人間を巻き込むにいたったこの運動体を無視して、ただブッダの教えを簡単に今日のわれわれの「時代」に応用し、適用することができるなどと考えるとしたら、それは安易にすぎることになるでしょう。
ブッダの教えは、一個の存在という資格で、それゆえにこそ、歴史からの離脱を主張するものであるがゆえに、二千数百年前のその時点においては、「歴史」という根源的な共同性が何であるか、を問う必要はありませんでした。
しかしわれわれはいまや、この歴史=世界から――そういうことが可能であるとして――わたしという個の存在がそのまま「退却」し、離脱すればよいわけではありません。
なぜならば、世界がそのまま「歴史」として現われてくるということは、われわれが、ひとりひとりの個人的な責任、みずからの行為に対しての個別の責任という以上に、かならずしもわれわれが行なったわけではないことに対してすら責任がある、いや、もしここで「責任」という言葉が強すぎるとするならば、「関与」しているというべきだからです。
歴史とは、わたしの実存が、そのままで、この運動体としての歴史と不可分の関係にあるということを言う言葉です。
実存するとは、すでに歴史のなかに、その構成され、蓄積され、保存された世界のなかに、――どのようにしてか――巻き込まれて存在しているということです。
「歴史」とは、ここでは「人類」の歴史です。
それはおそらく、その先には「生きとし生けるもの」すべての歴史、佛教の言葉で言えば「一切衆生」の歴史、つまりは生命の歴史という次元が開かれるのだと思いますが、歴史の現時点においては――ようやくそれが明確に立ち上がってくる時代になったと言っていいでしょうが――地球上において、テクノロジーという特別な力をもつことによって生態系を破壊し、他の無数の生物種を絶滅させ、しかもいまだに人間相互においてすら、無慈悲で残酷な殺戮をやめることのない、すぐれて「暴力の種」homo violensである「人類」の歴史です。
歴史とは暴力の場であり、暴力の組織であり、暴力の廃墟です。
そして人間の実存もまた、そのようなものとしてすでに歴史的であり、暴力的なのです。
ここには、あるいは西欧の哲学者であれば「罪責性」という言葉で呼ぶであろうような存在の根源的な構制があります。
そしておそらくは、この「罪責性」と「終末論」は構造的に連関しているのです(ハイデガーあるいはベンヤミンの仕事を究明することを通じてこの詳細を跡づけることも可能でしょうが、ここではその時間がありません)。
いずれにせよ、もし佛教的な思考がわれわれの時代においてひとつのメタ哲学の可能性として現われる可能性があるとしても、それは、もはや単独の実存における脱・実存の道としてだけではなく、同時に、そのままそれが、人類の歴史の全体を横断し、通過し、そこから脱するような道としてあるのでなければならないでしょう。
西欧的な「終末論」と佛教的な「もうひとつの終わり=目的」とは、ここにおいて一致します。
一方はそれでもなお、「他者」の「出来事」によって標識づけられ、他方は、そのような(究極的には「神」にほかならない)「他者」ではなく、あくまでも「自我」の「無化」、すなわち「空」によって標識づけられているという根本的な差異は残り続けるのですが……すなわち、われわれのそれぞれの実存そのものにおいて、いかなる超越的な「他者」を仮説することなく(「メシア」の訪れを待つことなく)、そのまま「人類」のダイナミックな歴史運動体の全体、すなわち太古から終末にまで至るその肯定的で実証的な「歴史」を全体として「無化」すること――それこそが、佛教の核にあると思われるブッダの教えのうちに、わたしが見いだそうとしている「希望」です。
こうしてわたしは、一言で言うならば、「正義」による脱構築(この点については言うまでもなくジャック・デリダのいくつかのテクストを召喚しなければならないわけですが)ではなく、まさにそれ自体としてはそのような倫理的な意味を欠いた「空」――(これは理念でしょうか、それとも理念ではなく、「存在とは別なもの」でしょうか?)――による脱構築を提起していることになります。
空は、存在論的な「無」ではありません。
そうではなくて、――すでに先ほどのブッダの言葉からもあきらかなように――あくまでも「空」を「行じる」、脱構築を論じるのではなく、脱構築を「行」することこそが問題なのです。
「行」という言葉は、サンスクリット語ではsankharaですが、それはこれまで訳されてきたような過去分詞の「つくられたもの」というだけではなく、「いっしょにつくりあげる」(「為作」)という意味であると、日本のある佛教学者(三枝充悳)☆1が論じています。
この「サム-」という接頭辞は、「生」サムッパーダ、サウムトパーダ、「集」サムダヤなど「初期佛教の諸資料では、たえず交流し合って用いられている」――すなわち、行とは「ともに-構成する」ことであり、われわれの「生」もまたそのように「ともに-構成された(構成する)」ものであるのです。
存在は行によってともに構成されたものです。
その行はすでにして実存的な生死の境界を超えて連続しています。
実存とは、そのような野生の歴史の存在のなかに「ともに-」巻き込まれ、埋め込まれているのです。
そしてそれゆえにこそ、「空」の「行」という、なにも「つくらない」ことにおいて、その「ともに-」という根源的な機構そのものをそれとして浮かび上がらせる非・実践の実践が人類の「歴史」を垂直的に横断する可能性があるのです。
哲学はいま、あらかじめ普遍的と保証された個的な内在性の原理を超えて、「暴力の種」としての「人類」の歴史性を根源的に考え直すという使命を果たさなければなりません。
思考というみずからの原理そのものを超えたこのメタ哲学の課題に、遠い太古の時間から、ブッダの教えがひと筋の「希望」の光を投げかける――これが、東アジアの地で「哲学」という名を担うもののひとりにとっての、現時点での「哲学者の使命」ということになると思います。
* * *
以上、前回と今回掲載させていただいたテクストを若干修正した英訳ヴァージョンが、過日(2008年10月2日)アルゼンチンのバリローチェで行なわれた「第9回バリローチェ哲学コロキアム」の分科会「アジアの思考のさまざまな可能性・もうひとつのメタ哲学」で読み上げられた。
同じ分科会には、中島隆博さんの「哲学としての中国哲学の歴史」、西山雄二さんの「田辺元の種の論理と犠牲の問題」が含まれ、司会は、われわれの友人であり、今回の招聘を媒介してくれたブエノスアイレス大学のフランシスコ・ナイシュタットさんだった。
このバリローチェの哲学の集会は、二年に一度、当地の原子力研究センターの講堂などを会場にして組織されているもので、3日間にわたり、プログラム上では100以上の発表が並ぶかなり大規模なものである。
もちろん使用言語はスペイン語だが、われわれ以外にもとりわけ北米を中心に海外参加者も多くて、その場合は、基本的には英語でセッションが行なわれる。
ナイシュタットさんの表現によれば、われわれは「日本からアルゼンチンに来た最初の哲学者」ということになるのだそうで、その文脈では、東アジアの哲学思想から出発して今回の共通テーマである「メタ哲学」の可能性について語ることがわれわれの使命であった。
わたしは、ここでメタ哲学としての佛教というアプローチを試みたが、佛教について論じるというよりは、佛教的な思想と現代の西欧哲学との交差の地点で、――どれほど貧弱なものであるとしても――みずからの「思考」を展開してみせることを企図したものである。
当日、講堂には、海外からの参加者を含めて数十名の聴衆が集まり、わたしの報告のあとでも、ナイシュタットさんの「非実存主義ですね」という反応からはじまって、事務局長のヌーデラーさんからの「慈悲との関連」についての問いなどいくつもの質疑が行なわれた。
アルゼンチンにおける東アジアの哲学の「最初のステップ」としては、かろうじて役割は果たせたのではないか、と思っている。
☆1 中村元・三枝充悳『バウッダ[佛教]』、小学館ライブラリー80、1996,201頁、参照のこと。
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