わたしは、ここでメタ哲学としての佛教というアプローチを試みたが、佛教について論じるというよりは、佛教的な思想と現代の西欧哲学との交差の地点で、――どれほど貧弱なものであるとしても――みずからの「思考」を展開してみせることを企図したものである。