(承前)というわけで、吉増剛造さんの「映画」作品、そこではまさに知覚世界つまり「廃墟」化する作品、いや、「作品」という理念までがひたすら遭難しかかり、――ブランショの言葉を思い出してdésœuvrementとでも言おうか!――ほとんどはじめから「作品の廃墟」として「ずれ現われ」てくる「作品」のなかへわれわれも随伴してみることにしよう。
たとえば「プール平」と題された、「gozoCine+'パート1」(DVD)のなかでは5番目の作品。
おそらく撮影順に配列されていると思われるそれ以前の4本は、まず最初の2本が、吉増剛造さんの世界にとってひとつの特権的な特異点とも言うべき立川基地に近い羽村の「まいまいず井戸」、そして3本目がブラジルの映像、さらに4本目が松島をテーマにしたものと続いてくるのだが、それらのいずれにも、記憶のある特異な場所、あるいは他のテクストによって指示された特異な感覚への接近という、すでにgozoCine+'を貫く行動原理が見てとれないわけではないが、しかしそれらがそれでもまだ、すでに十数年前よりテープレコーダーで言葉を吹き込みながら特定の場所を歩くこと、そして多重露光的な写真を撮ることを実践してきている吉増さんにとってのhabitus(ハビトゥス)の圏内におさまっているように思えるのに対して、この「プール平」では、それを超えて、明確な「映画」への意志が立ち上がってくる、その意味では、すべてがここからはじまるとも言いうる決定的な作品だとわたしは思う。
最初に映し出されるのは、吉増さんの仕事部屋の窓際、そこに撮影済みのネガ・フィルムが数本吊り下げられている。
その隣には、そのなかのたぶん1コマが印刷された『現代詩手帖』の表紙もまた。
当然、これらの写真は多重露光によって複数のイメージを重ね合わせたものなのだが、ナレーションの言葉によれば、どうやらこの「同じ場所」を写したものらしい。
つまり、「同じ場所」のいくつものイメージがそのままその場所で吊り下げられ、重ね合わされている。
その向こうは窓ガラスで、それを通して緑の葉が揺れているのも見えるのだが、その同じ光景を写したネガにいまきらきらと光の斑点が差し込んでいるのを、カメラは茫然と「美しい」と呟きながらうつしているというわけである。
忘れてはならないのは、まさにイメージを多元多重に撮すこの冒頭のシークエンスにかぎって、例外的に、gozoCine+'に特徴的なあの「キセキ(輝跡)」の機能は解除されていること。
つまり、世界はそこではカメラの特殊な機能を介在させることなく、いくつものイメージの積層として現われてきている。
すでにここに見えるのは、そこでの吉増さん自身の言葉によれば、「影の世界」とでも言おうか、知覚の明確な「像」ではなく、いくつもの「心」の、つまり記憶の――しかし誰のものであるのか、もうはっきりとはしない記憶の――時間が重ね合された「影の世界」であり、そこにまるで文字で書かれたように「光」が差し込んでくる。
その意味では、このシークエンスは、すでに吉増さんのイメージ作品を貫く思考、いや、エクリチュールという実践と化した思考(そう、「書く」ことが「思考」なのだから)の場所をはっきりと見せてくれている。
つまり「書く」ということは、ある意味では、白紙、銅板、フィルム……さまざまな支持体の表面に触れ、刻み、削り、そうしてそこに「ずれ現われる」いくつもの層に触れる、あるいは触れられる、ということなのだ。
吉増さんはそこでは、自分の「部屋」にいる。
さまざまなイメージの層が、薄く、透明に、積層した「部屋」――だが、そこで語られるのは、実は、その「部屋」から外に出ること。
「外」とはいえ、どこでもない「外」ではなく、ある特定の場所へと出かけていくこと。
出かけて行って、そのイメージを――ということはすでにイメージであるものをイメージとして――撮ること。
それはいわゆる映画作品をつくることとは違っている。
「映画」という口実(プレ・テクスト)、あるいは技術とともに、「行動」(アクション)が起こるということが重要なのだ。
しかも、その「行動」ははたして誰の「行動」なのか。
もちろん、吉増さん自身の「行動」であり、そこにはかれ以外には誰もいないのだが、しかし同時に、その[誰もいない]が、つまりnobodyが見るものこそがそこでは問題なのだ。
実際、すでに冒頭のシークエンスにおいて、吉増さんは、「ぼくは」と言いかけて言いよどみ、すでに「ぼくはと言っちゃいけないのかなあ」という奇妙な呟きを挿みこんでいる。
すでに、はじめから、作品は、「ぼくではない」誰か、プレゼンスを欠いた誰かと、しかし「ともにある」というgozoCine+'のすべてを貫く根本的な存在論的構造を明らかににしている。
しかも、この『プール平』では、以降の作品群でつねに登場する、奇妙なオブジェがはじめて出現する。
その日の朝、みずから「こんなムダなこと、夢みたいなことをなんでやっているのかなあ」と訝りながら、吉増さんは、――青山真治監督の映画作品にヒントを得たそうだが――ピンチハンガーに貝殻やサヌカイトなどいくつものオブジェを吊るした装置を作成する。
それをカメラの前に掲げて撮影すると、すでに「輝跡」効果によって、光と手の運動が痕跡化するのに加えて、写すべき光景とカメラの眼のあいだに――まるで細かな割注のように!――つねに揺れ動くいくつかの物体の幾条ものアモルフな輝跡が割り込んでくるのだ。
以降、この装置はgozoCine+'の不可欠の装置として、たとえば国内だけではなくパリにもオルレアンにも旅をすることになる。
吉増さんが旅をするというより、この見る装置が旅すると言ってもいい。
吉増さん自身は、これは「前仏」のようなもの、あるいは「道おしえ」のようなものだというのだが、決定的なことは、これによって「映画」の「眼」がもはや吉増さんの眼とはちがったものになるということ。
そのそこにはいないまさに幽霊のような誰か――nobody――が見る、もはや現在の知覚ではなく、知覚がすでにその記憶にかぎりなく「汚染」され、幽霊化している多重イメージの世界をこの装置は見ようとするのだ(これは後に、OHPの透明フィルムに焼き付けられた顔写真へとつながっていくのだが、ここではその展開には触れない)。
こうして準備が整う。
そして「映画」の道行き――ほとんど「犯罪者が犯行現場に戻るように」、遭難者が遭難の現場に戻るように、ある場所=イメージへと赴く道行き――が開始される。
吉増さんは言う――「今日は、2006年10月16日、前々からどうしても撮りたいと思っていた蓼科のプール平、その水を失ったプールを撮りに行ってみますね」と。
実は、この発言のあとに、奇妙にも、とても短い時間、――これも割注のように――「10月15日」の台風の予想位置(父島付近)を伝える天気予報のTV画面が挿入されており、それは、「まいまいず井戸」から続く吉増さんのメールシュトレーム的渦への強い関心とつながっているのだが、ここでは、その巨大な「水の渦」の接近という徴候を標識づけておくだけにしよう。
そしていきなりプール平の水のないプールの底である。
吉増さんは、おそらく左手でピンチハンガーを持って突き出し、右手でカメラを持ってその後ろに定位し、さらにポケットには詩を朗読するパウル・ツェランの声のテープレコーダーをいれて、――われわれにはその姿は見えないのだが――しかしなんとも奇妙な、ほとんど「道化」のような姿となって、誰もいない、水もない、コンクリートもひび割れ、そのひび割れから雑草が生えてきて立ち枯れ、もともとの青のペンキもほとんど剥げてしまった無残なプールの底を、よろめくように歩く。
行って帰るその一往復。
それだけと言えばそれだけ。
だが、その「映画」の眼の奇妙な歩行こそ、吉増さんの「遭難」のようなダンスにほかならない。
もちろん、われわれは、ツェランが1970年4月パリのセーヌ川、その流れる水のなかに身を投じて自殺した詩人であることを知っている。
歴史の災厄の「火」から逃れるために、根を空に向けて黒い水のなかに身を投じるポプラ=人々の姿を書かずにはいなかった詩人がみずからも、そのように水へと飛び込み、そうして「詩」を終わらせなければならなかった――その詩の運命がここでもまた、密かに、しかしこんなにも明らかに、「参照」されていないわけではけっしてない。
その日、蓼科の水のないプールの底を、まさにその底だけを、まるで「供物」のようないくつもの、かすかな音を立てるオブジェを前に立てて、凝視しながら、幽霊のように、幽霊として歩行しているのは、だからある意味では、ツェラン、いや、自身というのではなく、見えないイメージとなったツェランであると言ってもいい。
だが、同時に、それは、この現代の詩の運命に巻き込まれているかぎりでのあらゆる詩人でもあって、ツェランの声は強い声だが、しかしそれもまた、ひとつの透明なフィルム、それを通して、吉増さんが、というより、誰でもない者――nobody――がその詩の、死の「運命」をともに「遭難」するためのひとつの層にすぎないのだ。
わたしの乏しい映画的記憶のなかでは、タルコフスキー『ノスタルジア』のあの蝋燭の火をかかげて温泉プールを横切る男のシーンを思い出させる、この水のない水底の歩行――それを、こうしてわたしは、ほとんど詩の運命、詩の死の運命に捧げられたある種の祭儀というか、一回限りの儀式と解釈するのだが、それは単に追悼の、喪の儀式というよりは、むしろ逆の、死者を呼び出し、死者と束の間の「ともにあること」、まさにそれそのものが幽霊的である「ともにあること」を行為すること、もっと正確に言えば、イメージを「書き」つつ、そのイメージのエクリチュールにおいて行為することにほかならない。
エクリチュールは眼の行為である。
眼は「見る」のだが、その「見る」はまさに「書く」なのだ。
だが同時に、見=書くその「眼」は、この行為のなかで、ついにけっして書きえないもの、見るしかないものを見る、いや、出会うことになる。
それは、剥げて褪色した、それゆえにもはや「空の青でもあり海の青でもある」青、だが、ほんとうはそのどちらの青でもなく、先走って言ってしまえば、まるで生と死の「あわい」の色であるような薄い青、地下から滲み出してきたような青なのである。
それを見届けて、プールの全景を一瞬収めた吉増さんはもはや、地上に戻ってきたオルフェウスである。
小津安二郎記念館の看板を撮り(gozoCine+'は「映画」の「100メートル」横をすり抜けていく!)、蓼科山を撮り、「青」の残像に誘導されて「プール平」の鮮やかな青の地名標識、そしてバス停の標識を撮りながら地上に戻ってきたオルフェウスは、まるで少し照れているかのように、そこで行なわれた重大な行為をいくぶんかカムフラージュするかのように、――いったい誰に対してだろう――「みなさん、どうぞ一度いらしてください」とガイドするのだ。
だが、そこでは終わらない。
水なき水底の青は、とり憑いたかのようにまた戻ってくる。
今度は、もはやツェランの声ではなく、作品の冒頭でも響いていたジョン・ケージの「Nearly Stationary」とともに、水なき水底の滲み出る青の裂け目からわずかにまっすぐに伸び生えてきた雑草一茎を撮しながら、「生えてきている その驚異に 気がつくまでに これだけの時が 流れていきました」と静かに、吉増さんの声で、語りだす「誰か」がいるのである。
「これだけの時」とはどのくらいの時間なのか。
1970年からの時間なのか。
それともそれとは別の時間なのか。
いや、数え切れないほどの複数の「これだけの時」が流れているのか。
この「驚異」、水なき水底の青の裂け目から「生えてきている」、それでもなにかが「生えてきている」――それを確かめることがこの「シネマの旅」の秘密の目的ではあったのかもしれない。
☆註
2008年6月28日より北海道文学館で「詩の黄金の庭 吉増剛造展」が開催されている。そのオープニング・イベントとして、28日に北海道美術館で、吉増さん、高橋世織さん、工藤正廣さんとわたしの4人でトークセッションが開かれた。そのなかで『プール平』の上映も行なわれ、それについての討議も行なわれたので、そこでのわたしの発言とこのテクストとは多少、内容において重なるところがある。なお、当日は、吉増さんから2001年にプール平を訪れたときのことを書いたエッセイも配布され、それはわたしにとっては、そこではじめて分かったこともあり、なかなか衝撃的だったのだが、紙数の関係もあり、ここではそれとの関係は論じない。
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