(承前)というわけで、吉増剛造さんの「映画」作品、そこではまさに知覚世界つまり「廃墟」化する作品、いや、「作品」という理念までがひたすら遭難しかかり、――ブランショの言葉を思い出してdésœuvrementとでも言おうか!――ほとんどはじめから「作品の廃墟」として「ずれ現われ」てくる「作品」のなかへわれわれも随伴してみることにしよう。