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Title: | The 22th Komaba Philosophy ForumLimited to Professors, Fellows, and Students at Komaba Campus |
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| Date: | 17:30-19:30, Thursday, November 27th, 2025 |
Place: | Room 24. Bldg.101, University of Tokyo KomabaⅠCampus |
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第22回駒場哲学フォーラム
(仮)確実性と狂信の境界 ― マイケル・ジョーダンとエイハブ船長
日時:2025年11月27日(木)17:30-19:30
場所:駒場キャンパス 101号館2階研修室(階段目の前)
発表: 李 相權(比較博士)
題(仮): 確実性と狂信の境界 ― マイケル・ジョーダンとエイハブ船長
著名なハイデガー研究者ヒューバート・ドレイファスは、著書"All Things Shining"において、現代人が神や絶対的価値に依拠できず、自らの選択に全面的な責任を負わざるをえない存在になったと述べています。私たちは「これが正しい」と確信させてくれる絶対的な拠り所を失い、よく迷いと不安を感じながら生きているのです。それでもなお、現代人は日々の営みのなかで、「確実性」を感じ取るときが確かにあります。代表的にはスポーツという領域があり、それは現代人が最も簡単に確実性を経験しうる場だとも言えるでしょう。マイケル・ジョーダンが、動物的な動きで、一瞬の迷いもなくゴールを決めるとき、そこには計算や思考を超えた反応的な確実性があり、それを目撃する観客もまた、彼と一体化したような興奮を味わいます。つまり、この身体的で反射的な反応は、私たちが世界とつながり、世界の中で存在しているという感覚を、最も純粋な形で示す経験であるということです。
しかしドレイファスは、確実性に似ながらも本質的に異なるもう一つの生の様式、「狂信主義(fanaticism)」に関しても論じます。『白鯨』のエイハブ船長がその典型であり、彼は「白鯨を倒す」という、本当に自分自身のものなのかも疑わしいその信念を絶対化し、世界全体、つまりすべての他の価値をそれに従属させる生き方を見せているのです。強烈な意志と決断力をもって動くようなその姿は、一見確実性を持っているように見えますが、実際には世界の多様な可能性を閉ざし、自らを滅ぼす方向へと導くのです。つまり、確実性と狂信主義はいずれも「迷いのない生」を体現しているように見える点で似ていますが、両者のあいだには決定的な違いがあります。問題はただ、その違いを示す作業、両者を区分する作業が非常に難しいという点です。
今回のフォーラムでは、ドレイファスのこの議論を手がかりに、「確実性」と「狂信」の差異に関して考えてみたいと思っております。私たちが何かに深く没入し、確実性を持って動くとき、それは本当に実存的な確実性なのか、それとも無自覚な狂信なのか。現代において「確実性をもって生きる」とはどういうことか――その問いを、参加者の皆さまとともに検討したいと思います(もちろん、ドレイファスやハイデガーの議論にこだわらず、それぞれの関心や経験から、自由なお話ができれば幸いです)。
※参加を希望される方は以下のリンクから案内文を確認の上、ご連絡ください。
https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2022/05/post_243/
主催:駒場哲学フォーラム
共催:東アジア藝文書院(EAA)、共生のための国際哲学研究センター(UTCP)






