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Title:

UTCPワークショップ「文学の〈無意識〉・文学の〈身体〉」生方智子×斎藤環

終了しました
Date:
2010年4月27日(火)17:00-
Place:
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1[地図

登壇者の変更があります

UTCP ワークショップ
文学の〈無意識〉・文学の〈身体〉
生方智子×斎藤環

日時:4月27日(火)17:00–
場所:東京大学駒場キャンパス内18号館コラボレーションルーム1[地図
(京王井の頭線駒場東大前駅から徒歩3分)

登壇者:
生方智子(立正大学)
斎藤環(爽風会佐々木病院)
大橋完太郎(UTCP) 事情により出席できません

コメンテーター:原和之(東京大学、UTCP)


〈無意識〉や〈身体〉は、言語を通して主体が構築される過程で剰余として把持される。それらは言語による構造化をまぬがれると同時 に、言語が生成されるまさにその過程を通してしかその輪郭を捉えることができない領域としてある。そうした言語の立ち現れを語るのが、文学の現場であることはいうまでもない。文学は歴史的・社会的環境のなかで生み出され、その固有性もしくは一回性に特徴づけられる。文学に書き込まれた〈無意識〉や〈身体〉を論じることは、実体化されがちな〈無意識〉や〈身体〉と いう領域の歴史性や社会性を明らかにすることでもあるだろう。
本ワークショップでは、文学に書き込まれた〈無意識〉や〈身体〉に光を当て、テクストの外部に位置づけられたそれらの領域が、どのようにテクストの生成に関わるのかをみていく。その意図は、文学の一回性のなかで立ち現れた〈無意識〉や〈身体〉という領域が、どのように近代的な主体構築の権力を脱臼させ、それとは異なる力としてどのようにテクストを変成させるのかを明らかにすることで、可能性としての〈無意識〉や〈身体〉を見出すことである。
文学における〈無意識〉や〈身体〉というテーマは、たとえば、フロイトの精神分析が導入される前夜の日本社会において、文学がどのように〈無意識〉や〈身体〉を語ったのかという問題として議論されよう。また、父殺しではなく、母殺しをテーマとする物語群を読み解く ことで、オイディプス・コンプレックスとは異なる関係性の構造が見えてくる。母殺しの物語は、フロイトも弟子の小澤平作を介して参照したとされる仏教説話の阿闍世王物語へと遡ることで、まさにアジア社会の問題として立ち現れてくるはずだ。さらには、精神分析を生み出した西洋社会の文脈において、改めて文学に描かれた〈無意識〉や〈身体〉を論じ、精神分析の知との接続を図ることも現代的な関心としてある。
本ワークショップでは、近代文学、ジェンダー・セクシュアリティ論を研究する生方智子氏、精神科医で、文学を精神分析の観点から読み解く著書を多く上梓している齋藤環氏、思想史、表象文化論を専門とする大橋完太郎氏に問題提起をしていただき、精神分析、フランス思想の研究者である原和之氏に三氏の報告のコメントをしていただく。文学、精神分析、哲学にとどまらず、関心のある方の参加を呼びかけたい。

使用言語:日本語、入場無料、事前登録不要
主催:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)

2010_Bodyofliterature_poster.jpg


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