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Title:

UTCPワークショップ「亡霊、語り(ナラティブ)、歴史性」

終了しました
Date:
2010年3月1日(月) 17:30-
Place:
東京大学駒場キャンパス18号館4階 コラボレーションルーム1 [地図

発表者:高木信(相模女子大学)、森田團(UTCP)、深津謙一郎(明治大学)
コメンテーター:小林康夫(東京大学、UTCP)、藤井貞和(立正大学)
司会:内藤まりこ(UTCP)

使用言語:日本語、入場:無料、事前登録:不要
主催:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育センター(UTCP)」
後援:叙述態研究会

 死者をこの世へ回帰させる出来事として、共同体は多くの物語を語ってきた。それは例えば、怨霊や幽霊、祖霊として表象することで現世に蘇らせ、その思いを語らせることで、死者をこの世に回収させることである。死者の弔いを通じて、残された生者たちの共同性を保証する論理となるのである。このようにして死者が弔うのが、共同体の喪の作業であるとするならば、それとは別の死者との関わり方があるのではないか。そのような関わりは、ほかならぬ語り(ナラティブ)を通してしかみえてこないはずだ。そうした異なる死者との関わり方を、亡霊という問題圏として設定してみる。
 亡霊を語り(ナラティブ)の問題として捉えることは、語り(ナラティブ)がもつ批評性のあらわれを見出すことになる。なぜなら、亡霊が生者たちの世界にその外部から到来する者であることを明らかにしうるのは、語り(ナラティブ)においてしかありえないからだ。ここで、わたしたちは、亡霊をめぐるその語り(ナラティブ)の批評性がどのようにして生成するのかを注視する必要があるだろう。亡霊の/をめぐる語り(ナラティブ)が生み出される一回性、あるいはその語り(ナラティブ)の固有性にこそ、亡霊に関わる語り(ナラティブ)の批評性は担保されると考える。語り(ナラティブ)の一回性や固有性は、歴史という時間性のなかでこそ捉えるべき問題としてあろう。
 そこで、本ワークショップでは、亡霊の複数の語り(ナラティブ)をつきあわせ、語り(ナラティブ)の批評性が立ち上がる現場を捉えたい。たとえば、『平家物語』は、源平の戦で敗れた死者たちを怨霊として語ってきた。それを亡霊の語り(ナラティブ)として捉え返したときに何がみえてくるのか。このような死者のあらわれの複数性は、『平家物語』という語り(ナラティブ)の固有性や歴史性のなかで論じられるはずだ。また、同じ〈戦い〉の記憶でいえば、第二次世界大戦の戦死者たちが、亡霊として憑衣する現代文学が多く存在する。ここでは、沖縄という現場において生成した亡霊の物語を取り上げ、語り(ナラティブ)の批評性及びその歴史性の可能性を問いたい。亡霊は哲学のテーマ系でもあることはいうまでもない。死者を語る物語の基層に、見えない亡霊が語る声を聞き、あるいは語るという一回的な語り(ナラティブ)が生成していたことを想起しよう。始源としての語り(ナラティブ)を探る哲学的探求に耳を澄ますことも、語り(ナラティブ)の批評力を発露させることになるはずだ。
 亡霊の/をめぐる複数の語り(ナラティブ)の生成の瞬間をつかむことが、わたしたちと亡霊(見えない他者)との共-生を可能とする思考を紡ぎ出すことになると期待する。

workshop_ghost.jpg

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