Title: | 国際ワークショップ「人文学と公共性」終了しました |
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Date: | 2009年9月28日(月) 10:30-18:20 |
Place: | 東京大学駒場キャンパス18号館4階 コラボレーションルーム1 [地図] |
本年2月16日、若手研究者らが中心となって、UTCPは延世大学において共同で国際ワークショップ「政治的思考の地平」を開催した。その続編にあたる今回は、政治、形式、歴史、国家制度という異なる視座から人文学のあり方を問うことで、人文学がいかなる公共空間を創出するのかを浮き彫りにする。
10.30-10.40 開会の辞 小林康夫
10.40-12.10 セッション1 「人文学と政治」
Park Jinwoo(延世大学)「コンパッションの政治のために」
(박진우, <연민(Compassion)의 정치에 관하여> )
大竹弘二(南山大学)「秘密、嘘、現実喪失――ハンナ・アレントと政治の機密」
近代民主主義は、絶対主義時代のいわゆる「統治の機密(アルカナ・インペリイ)」との対決を通じて誕生したことから、公開性を自らの根本原理としている。だが、カール・J・フリードリヒやハンナ・アレントのような政治学者はすでに20世紀の全体主義と冷戦の経験から、秘密政治の復活を診断していた。本報告では、こうした診断が意味するところを、政治における嘘やプロパガンダという問題に焦点を当てて解明し、その今日的射程を明らかにする。
13.10-14.40 セッション2 「人文学の形式」
So Younghyun(延世大学)「学術的エクリチュールの境界」
(소영현, <학술적 글쓰기의 경계> )
桑田光平(UTCP)「ロラン・バルトと問いとしてのエクリチュール」
「エクリチュール」という概念が、フランス文学・思想を超えて、広くアメリカやアジアにまで普及し、20世紀後半の人文学にとってもっとも重要なトピックとなったことは疑いようもない。多くの批評家・思想家が問題にしてきたこの「エクリチュール」という概念を現在の人文学の「研究者」はどのように受容すべきか、ロラン・バルトを例に取りあげながら考える。
14.45-16.25 セッション3 「人文学と植民地主義」
Lee Byunghan(延世大学)「大衆知性時代の人文学:どこから、いかに、なすべきか?」
(이병한, <대중지성 시대의 인문학 : 어디서, 어떻게 할 것인가?> )
五味渕典嗣(大妻女子大学)「《文学》の生存戦略――日本語文学の「昭和10年代」」
1930年代後半、とりわけ、中日戦争の全面化をはさむ時期の日本語の文学領域においては、文学言説という形で対抗的な言論の場を確保しようとする実践がなされるとともに、従来の文学言説の生産・流通・消費にかかわる環境を変化させないために、既存の文学の「外部」を導入しようとする動向とが同時に生起していた。文学をめぐるこれら二つの事態を歴史的に素描する。
16.40-18.10 セッション4 「人文学と国家制度」
KIM Hang(高麗大学)「国家と人文学、何も返さない贈与:HK(Humanities Korea)のケースから」
(김항, <국가와 인문학, 아무것도 되돌려주지 않는 증여: HK의 사례를 중심으로>)
西山雄二(UTCP)「国家と人文学――「新しい教養」の行方」
日本の大学における人文学の現在の状況は、1991年の大学設置基準の大綱化に大きく起因する。文部行政のみならず、産業界からの要請によって、ポストフォーディズム社会に役立つ「新しい教養」が求められるようになった。従来の専門教育と教養教育が効率的に一元化されて構想される「新しい教養」は、自己責任を遵守する独創的で柔軟な主体性の形成を目的とする。「新しい教養」は近年の国民教育の復活の流れとも深く関係しており、それゆえ、大学における人文学の営みは新自由主義と新国家主義の狭間に置かれているといえる。本発表ではこうした「新しい教養」を批判的に分析し、その将来的な展望を模索する。
18.10- 閉会の辞 白永瑞
使用言語:日本語・韓国語(翻訳資料配布、通訳付) 入場無料、事前登録不要
主催:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」、延世大学韓国学術研究院
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