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Title:

公開共同研究「哲学と大学」ワークショップ「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか」

終了しました
Date:
2008年9月19日 (金) 16:30-20:00
Place:
東京大学駒場キャンパス18号館4階 コラボレーションルーム1[地図

スケジュール

16.30-17.30
「ニーチェ的意味における哲学と大学」
竹内綱史(学振特別研究員) 司会:宮崎裕助(新潟大学)

17.30-18.20
「研究空間スユ+ノモ」の挑戦@韓国・ソウル
西山雄二(東京大学)

18.30-20.00
公開討議
「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか
――『現代思想2008年9月号 特集:大学の困難』(青土社)をめぐって」
発言:大河内泰樹(京都産業大学)、斉藤渉(大阪大学)、藤田尚志(学振特別研究員)、宮崎裕助(新潟大学) 
司会・応答:西山雄二

使用言語: 日本語,参加無料,事前予約不要

主催:
東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」
科学研究費補助金若手B「哲学、教育、大学をめぐるジャック・デリダの理論と実践」

⇒[報告

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発表要旨

1) 竹内綱史 「ニーチェ的意味における哲学と大学」
 処女作『悲劇の誕生』の公刊直後、ニーチェは『われわれの教養施設の将来について』と題した連続講演を行ない、ベルリン大学の教養理念を純粋に復活させることを熱心に説いていた。いま存在している教養施設(大学とギムナジウム)は「専門化」と「大衆化」へと逸脱しており、真の教養施設を取り戻すことが急務である、と。
 だがしかし、その講演の二年後、第三『反時代的考察』で再び大学の問題を取り上げたときには、ニーチェはもはや教養施設の復活を語ろうとはしない。そこでは「大学哲学」への容赦無い批判が大勢を占め、学者は絶対に哲学者にはなれない、それゆえ哲学は大学から離れるべきだという主張が繰り返されるに至る。そしてこれ以降、こうしたスタンスが晩年まで続くことになる。
 このようなニーチェの転回は何を意味しているのだろうか。そもそもニーチェは「教養」や「教養施設」の名の下に何を考えていたのであろうか。そして、彼の言う「哲学者」とは、いかなる存在なのだろうか。本報告では、こうした問いに答えることを通じて、「哲学と大学」をめぐる諸問題に光を当ててみたい。

〈一次文献〉
Friedrich Nietzsche, Sämtliche Werke: Kritische Studienausgabe. Hrsg. von G. Colli und M. Montinari. München, Berlin/New York, 1980.(KSA)
―― Ueber die Zukunft unserer Bildungsanstalten, KSA, Bd.1, S.641-752.
―― Schopenhauer als Erzieher, KSA, Bd.1, S.335-427.

〈参考文献〉
竹内綱史「大学というパラドクス ――《教養施設》に関する若きニーチェの思索をめぐって」、京都大学文学研究科宗教学専修編『宗教学研究室紀要』Vol.1、2004年、13-35頁。(http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/religion/)
――「若きニーチェの「啓蒙」思想 ――第三『反時代的考察』の射程」、日本ショーペンハウアー協会編『ショーペンハウアー研究』別巻第1号、2005年、101-118頁。

2)西山雄二 「『研究空間スユ+ノモ』の挑戦@韓国・ソウル」
 博士号を取得したものの就職先がない「高学歴ワーキングプア」たちが創設した、大衆に開かれた研究教育のための自律的な生活共同体「研究空間スユ+ノモ(Research Machine “Suyu+Trans”)」――8月1-2日、韓国・ソウルにて「研究空間スユ+ノモ」を訪問し、コ・ビョングォン講師らにインタヴュー取材をおこなった。(→ブログ記事はこちら
 本報告では、動画資料を交えて、「スユ+ノモ」の創造的な挑戦について報告をおこなう。研究教育と場所の関係、共同体における贈与と接続の理念、生活と研究のより良い調和、研究教育の経済問題など、現在の高等研究教育(制度)に深く関係する問いを、「スユ+ノモ」の実践例を通じて考察する。
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3)公開討議「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか」
 『現代思想2008年9月号 特集:大学の困難』(青土社、8月27日発売予定)をめぐる討議。

この世界を自分なりに思考したいという素朴な欲求や、学識を通じて何かを実践したいという若やかな渇望が大学においてすでにして、新自由主義的な経済活動と同質的な論理に即して効率性や収益性、卓越性の尺度でもってあらかじめ評定され、次第に、しかし確実に色褪せていく時代にあって、ひとりひとりがそれぞれの現場で「学問を通じて自分が何を信じているのか」という本源的な問いにくり返し立ち戻らなければなければならないとき、いやもっと言えば、そうしたある種の信仰告白の形でしか研究教育の来るべき可能性について語ることがもはや許されないようにみえるとき、研究教育の伝統的な制度たる大学はいかにして存続するのだろうか、いや、大学という旧来の制度は社会的で経済的な条件のもとですでに根本的な変化を強いられているのだから、むしろ、大学の名はいかなる場においてなおも生き延び続けるのだろうか、そして、大学の名はいかなる場を通じて私たちをなおも呼び求め続けるのだろうか。

(該当誌を必ずしも購入して持参する必要はありません。事前に予習してこなくとも議論の流れが分かるように、各発言者が発表をおこない、討議を通じて大学の研究教育をめぐる問いの所在を明らかにします。)


【関連イベント】
大学の未来――「研究空間スユ+ノモ」(ソウル)×「条件なき大学」(デリダ)×「地下大学」(高円寺)=?
9月20日(土)19時- 
@高円寺・素人の乱12号店・北中ホール
⇒地図http://keita.trio4.nobody.jp/shop/12/map.html
講師:西山雄二(東京大学UTCP)
要旨:博士号を取得したものの就職先がない「高学歴ワーキングプア」たちが創設した、大衆に開かれた研究教育のための自律的な生活共同体「研究空間スユ+ノモ」@韓国・ソウル。本発表では、動画資料を交えて「スユ+ノモ」の創造的な挑戦について報告をおこない、ジャック・デリダの大学論を踏まえつつ、日本の大学や研究教育の可能性をめぐって討議をおこなう。
参考文献:『現代思想 2008年9月号 特集:大学の困難』(青土社)


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