書誌情報】 
中島隆博 
『共生のプラクシス 増補新装版 国家と宗教』2022年、東京大学出版会 
ISBN:978-4-13-010155-4 
【目次】 
プロローグ 他者たちへの想像力 
第I部 原初的な共同性をめぐる思考 
第1章 小人がもし閒居しなければ──朱熹の思想 
 1 中国思想における公共空間 
 2 「小人閒居して不善をなす」 
 3 悪の場所 
 4 君子の「独」と小人の「独」──「他者を予想する境地」にいる小人 
 5 「誠意」という関門──小人の間の分割 
 6 自ら欺く──君子の場合 
 7 自ら欺く──小人の場合 
 8 「半知半不知」 
 9 君子は小人である──巨悪について 
 10 王船山の批判と他人の存在 
第2章 小人たちの公共空間──明代の思想 
 1 小人の君子化と「知」から「良知」への移行──王陽明 
 2 「無善無悪」と「信」──王龍渓、銭徳洪 
 3 「愚夫愚婦」の「公論」──繆昌期 
 4 代理=代表の空間──黄宗羲 
 5 小人の朋党──欧陽脩、高攀龍 
 6 渦巻きの共同性 
インタールード1 他者たちを再び結びつける地平──ジャック・デリダの思考 
 1 「絶対的起源の根源的差異」──デリダとレヴィナス 
 2 「超越論的歴史性」と〈超越〉 
 3 時間の超越論的エコノミー 
 4 返済なき贈与──『時間を与える』 
 5 犠牲のエコノミー、エコノミーの犠牲──『死を与える』 
 6 涙を流す瞬間──『盲者の記憶』 
 7 正義の時間──「複数の純粋な特異性を再び結びつけるだろう」 
第II部 他者を再定義する仏教のラディカリズム 
第3章 魂を異にするものへの態度──明末の仏教とキリスト教 
 1 「殺生は人のなすことではない」──雲棲袾宏の「戒殺生」 
 2 「殺生を戒める道理などない」──マテオ・リッチによる批判 
  a 魂を異にするもの──人間と動物の差異 
  b 魂のダブル・スタンダード──他人との差異 
  c 他なる人間中心主義と倫理   
  d 「仁の模範」と魂のエコノミー 
  e 肉を喰らうこととその抑制 
 3 〈食べること〉の肯定──李贄と戴震 
 4 〈美味しく食べること〉から〈殺すこと〉へ 
 5 殺生は断じて行うべきではない 
 6 「忍びざる心」を理解し直 
第4章 強死せし者と死体の方へ──六朝期の仏教と儒教 
 1 神滅不滅論争──范縝、蕭琛、曹思文 
  a 范縝の形神相即論   
  b 仏教徒の批判 
 2 死者と死体 
  a 木と人、死者と生者   
  b 死体に変じる   
  c 死神   
  d 余分な死体 
 3 神の複数性と他者との交わり 
  a 神の複数性と一性   
  b 沈約の批判──神の名 
  c 二つの心──心器をめぐって   
  d 思慮は他の部分にもやどるのか 
  e 他人の心との交渉 
 4 人間の間の区別──形神相即論を超えたイデア的器官 
 5 人間の間の区別を破る──自然なる世界 
  a 神滅の効用   
  b 自然は性による人間の間の区別を破る 
 6 強死せし者 
  a 経書に記載された祭祀と鬼神   
  b 蕭琛の批判   
  c 曹思文の批判   
  d 強死の回避──「自然」と「独化」の死/他者との関係における死 
 7 マン-メイド・マス・デス(人の手による大量死) 
第5章 死者を遇する〈倫理〉──仏教と生命倫理 
 1 現代における生命倫理と仏教 
 2 「自然」と「道徳」 
 3 捨身・布施──臓器移植を容認する仏教的言説 
 4 自己決定 
 5 「死の作法」、道徳化からの切断──臓器移植に対抗する仏教的言説 
 6 死の時間─神滅不滅論争の争点 
 7 臓器移植とカニバリズム 
 8 動物を殺してはならない──「戒殺生」の争点 
 9 死者を死者として遇すること 
 10 仏教のラディカリズム 
インタールード2 他のものになることの倫理――ジル・ドゥルーズと中国 
 1 生成変化――『千のプラトー』 
  a 近傍と此性の構成――全く違った個体化の様態、そして世界 
  b 他の近傍もまた変化する 
 2 独立した個体の間の反自然的な予定調和 
  a 反自然的な共感の統合――『経験論と主体性』   
  b この同じ世界――『襞』 
 3 壁を通り抜ける技法――ドゥルーズにとっての中国 
  a 抽象線に自らを切りつめる   
  b 欲望を整序するものとしての中国 
 4 他なるものに化すこと――『荘子』胡蝶の夢 
  a 胡蝶の夢――他者の立場に立つことはできない 
  b 能動性を欠いた肯定による非倫理 
 5 内在の倫理 
第III部 共生の思想としての儒教の方位 
第6章 儒教の近代化の行方――中国の新儒家 
 1 現代新儒家の背景 
 2 新儒家の定義 
  a 宗教的であること   
  b 文化と哲学 
  c 正統と合法――「道統」について 
  d 新しい「外王」と「中体西用論」の後裔 
 3 最後の儒家か、最後の仏家か――梁漱溟 
  a 『東西文化およびその哲学』――─仏家から儒家へ転向したのか 
  b 「最後の仏家」 
  c  梁漱溟と熊十力(一)――「熊十力は儒家に、わたしは仏家に帰属するべきである」 
 4 仏教から儒家思想へ――熊十力 
  a 『新唯識論』と「境識同体不離」 
  b 儒家思想の導入――『原儒』、『乾坤衍』 
  c 梁漱溟と熊十力(二)――「内聖外王の学」の失敗 
 5 仏教の再導入――牟宗三 
  a 熊十力との出会い、梁漱溟との距離 
  b 熊十力と梁漱溟の間で――「新外王」と「曲通」の道 
  c 牟宗三のプログラムと「自覚的な自己否定」 
  d 神妙なる融即――「一心開二門」から「天台円教」へ 
 6 哲学化された仏教とそれを超えるもの 
第7章 国家のレジティマシーと儒教――現代中国の儒教復興 
 1 国家のレジティマシー 
 2 儒教をどう捉えるのか 
 3 Civil Religionの系譜学(一)――ジャン=ジャック・ルソー 
 4 Civil Religionの系譜学(二)――─ロバート・ベラー 
 5 儒教と犠牲の論理 
 6 考えるべき論点 
第8章 「批判儒教」のために――近代中国・日本における儒教復興 
 1 二つの世俗化概念―― secularizationとlaicization 
 2 儒教は宗教なのか(一)――清末から文化大革命まで 
 3 儒教は宗教なのか(二)――改革開放以後 
 4 近代日本における宗教と道徳 
 5 人倫の道としての儒教――和辻哲郎 
 6 孔子教と哲学的宗教性――服部宇之吉 
 7 徳教としての儒教――井上哲次郎 
 8 戦前日本における市民宗教の政治的意味 
 9 来るべき「批判儒教」 
第IV部 市民に息づく宗教性 
第9章 儒教、近代、市民的スピリチュアリティ 
 1 儒教復興 
 2 近代と儒教 
 3 台北孔廟 
 4 原理主義的な儒家国教論と自由主義者のキリスト教的立憲政治論 
 5 台湾と共和国の伝統 
 6 長春と市民的スピリチュアリティ 
 おわりに 
第10章 世紀の交の霊魂論――中江兆民、井上円了、南方熊楠 
 はじめに 
 1 中江兆民の霊魂論 
 2 井上円了の霊魂論 
 3 南方熊楠の霊魂論 
 4 熊楠と兆民、円了の交差 
 5 熊楠霊魂論の政治性 
 6 熊楠のエコロジー 
 7 哲学などは古人の糟粕 
第11章 ポスト世俗化の時代における市民社会 
 はじめに 
 1 重なり合う合意――チャールズ・テイラー 
 2 世俗的理性と宗教的理性の間の翻訳――ユルゲン・ハーバーマス 
 3 ポスト- デュルケーム的体制 
 4 今日におけるマテオ・リッチ 
 5 ローカルな宗教性 
 おわりに 
エピローグ 共生のプラクシス 
あとがき 
増補新装版へのあとがき 
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