短期教育プログラム「哲学と大学」スタート
→発表レジュメ「ビル・レディングズ『廃墟のなかの大学』の衝撃」(PDF)
34歳で夭逝したレディングズのこの遺著では、歴史の幅広い文脈のなかに哲学と大学の関係を位置づける野心的試みがなされています。大学の歴史と理念の相互性を浮き彫りにしつつ、近代の大学からグローバル時代の大学(「ポスト歴史的大学」)への移行が考察されます。彼は「文化」に力点を置き、近代の大学は近代国家のための「国民文化」形成という役割を担ってきたとします。ドイツでは哲学、英米では文学によって国民文化に確固たる歴史的アイデンティティが付与され、然るべき教養として学生たちに教授されてきたわけです。カルチュラル・スタディーズの隆盛は文化概念を決定的に変容させ、大学と国民文化の結びつきを多種多様な文脈へと開いていきました。
この著作で独創的な点は、グローバル時代の大学を突き動かす概念として「エクセレンス(卓越性)」を分析したことです。「エクセレンス」は外的対象も内実ももたない空疎な概念であり、それゆえに、大学に関するあらゆる事象の比較を可能とします。「要点は、エクセレンスが何かを誰も知らないということではなくて、エクセレンスが何なのかすべての人が自分なりの考えをもっているということである」。学生の成績、講義のサイズ、教員の質、財政状態、図書館の蔵書、卒業生の社会的声価から、駐車場の整然さまでがエクセレンスの名の下に評価されます。そして、大学の序列化やランキングを可能とし、さらには大学に対する学生の消費者主義を促進します。
討議の時間には、レディングズの視座が英米の大学からのものであることが指摘されました。グローバル時代において、大学はむしろ国民国家にある程度従属し、国力を増強するために国際競争を強いられます。グローバル化(≒アメリカ化)に対抗するために大学と国民国家的制度の結びつきは強化される傾向もあるでしょう。
自然を研究対象とする自然科学は諸事象の法則性を解明しようと普遍的なものへの志向性を有します。他方で、人為的構築物を研究対象とする社会科学は政治・経済・文化のグローバル化を受けて、より広い視座からの理論構築を強いられています。そこで、人文科学はどのように振舞うべきかが、現在問われてきます。人間の精神的活動を自己内省的に考察する人文科学では、自然の普遍性と社会のグローバル化の狭間で人間性を探求することが課題となってきます。それは、19世紀初頭、近代の入り口でフンボルトらが構想したように、国民文化の(再)形成とは異なる道となることでしょう。
ともかく、レディングズのこの著作は、グローバル時代における人文学の葛藤に正面から向き合った点で評価できます。ただ、前半の歴史的・社会的・哲学的分析の出来のよさと比べると、後半部で示される彼の展望は無理があるように思います。「第10章 教育の現場」で提示される、自律した諸主体を想定しない反モダニスト的な教育法、「第12章 不同意の共同体」で示される、同意を前提とせず、異質なものを受容する不同意の他律的地平は、ともに説得力のある結論にはなっていません。
ただ、大学で何を学ぶのか、大学にいって何になるのかといった、真理論や実践論、目的論の他に、彼が信をめぐる問いを提起している件が心に残りました。大学をめぐる深い信の問いを経ることなしに、現在の大学や人文学を根本的に考えることはできないように思うからです。
「教師と学生が直面している問題は、このように何を信じるべきかの問題ではなく、学術機関に対してどんな分析を加えれば、信念が価値あるものになるかという問題である。エクセレンスの観点からは、いったいどんな信念が価値評価の糧となりえないのだろうか」。
(報告文:西山雄二)