Short-Term Programs / 短期教育プログラム

公開共同研究「歴史哲学の起源」

【報告】「歴史哲学の起源」第1回 ハイデガーとコスモス ―「ナトルプ報告」から出発して

2008.05.04

最初に主催者である私(森田)が、プログラムの趣旨と夏学期の計画を説明したうえで、研究会発足に際しての抱負を述べた。

私たちの研究会のテーマに特色があるとするならば、コスモロジーとエスカトロジーが交叉するのは生の概念においてであり、また両者の接続の仕方によって生の概念は、そのつど再解釈されるということである。この問いは哲学史を通覧できるだけのパースペクティヴを持つだけではない。何よりも現在と私たちが主な対象とする十九世紀末から二十世紀初頭という時代との出会いをもあらわにするようなものと考えている。おそらく、そのような出会いのうちでのみ、テクストの細部への沈潜が意味を持つ。

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西山の発表は、このような研究会の意図を体現したものだった。彼はまずコスモスの語源学的な説明からはじめた。「整えられた秩序」や「飾り」といった周知の語源が紹介されたのち、語源辞典が一方で秩序そのもの、他方で秩序付ける行為に説明が分かれることに注意を喚起し、そこにいわば「コスモスにおける人間の地位」が揺れていることの反映を読みとろうとしていたのは興味深かった。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて行われた自然科学と人間科学の領域確定の試みとの関連で、コスモス概念の位置付けもまた潜在的に問いに付されていたのであり、語源研究を含む当時のコスモス論もまた、そのような状況のうちで読まねばならないのである。

西山はハイデガーのコスモス概念もまた同じ状況にあると言う。1929年の「根拠の本質について」において、ハイデガーはコスモスを「状態 Zustand」と訳すのだが、ここにすでにハイデガーが、通常のコスモス解釈に明確に異を唱えていることが読み取れる。実は、この翻訳は、初期ハイデガーが世界概念を練り上げる過程に密接に関連しているのであり、それゆえ彼の思考の核心がこの翻訳に現われているとも言えるのである。西山の発表は、この翻訳をめぐる考察でもあった。

初期ハイデガーの様々な萌芽的可能性を孕んだ世界概念を、西山は「ナトルプ報告」を出発点にし、分析する。周知のように、ハイデガーはディルタイ的な生と世界との根源的連繋を下敷きにしながら、同時に、現象学的な志向性概念の捉え直しを通じて、気遣い[Sorge]の概念を提出している。気遣いの概念は、ここでは生の動性[Bewegtheit]を基底に持つのであり、その運動の在り方によって、「環世界」、「共同世界」、「自己世界」へと世界は「分節」されるのである。

このように「ナトルプ報告」の世界概念を運動の観点によってまとめながら、西山は、ひとつの「対抗運動」としての「批判」に注目する。批判もまた世界との関わりにおける運動の様態であり、それは同時にハイデガーの哲学史の「解体的遡行」に重なり合う。そこで西山は、「ナトルプ報告」のおいてはわずかに言及されているに過ぎないアリストテレスの「エレア派批判」が、2005年に出版されたハイデガー全集の第62巻(1922年の講義)において詳細に扱われていることを指摘する。ハイデガーはアリストテレスの「批判」を模範にしつつ、自らの批判を遂行することになるが、同時にそこにおいてこそコスモスの翻訳の問題が焦点となるのである。

コスモスをZustandと訳すのはハイデガーの独創ではなく、実は文献学者カール・ラインハルトの研究と翻訳を前提にしている。問題となる翻訳はパルメニデスの断片B4なのだが、ラインハルトは、『パルメニデス』(1916)において、コスモス、正確に言えば kata kosmon という語句を「状態」と訳しているのである。それは彼にとってコスモスは秩序を意味するものではなく、時間性のうちに、時間的な変転のうちにおかれた様態と解釈されるべきだったからである。対してハイデガーは、西山によれば、ラインハルトの翻訳を踏襲しながらも、コスモスを時間性から解釈する方向性とは異なる翻訳を提示している。ハイデガーにとっては、コスモスは時間性――生成と消滅の交替――によって捉えられるものではなく、むしろ何よりも現前と不在との連繋が保持されることなのである。

西山は、暫定的結論として、この議論を再び「ナトルプ報告」に送り返すとき、問題になるのは「シュンベベーコス=Zu-fall=付帯性[Mithaftigkeit]」であろうと指摘し発表を終えた。連繋の保持がこの概念の核心にあるからである。

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西山の発表は、最初の研究会として、これからの研究の方向性をはっきりと示すものであった。上の議論は引き続き継続すべきものであり、初期ハイデガーならびに「ナトルプ報告」については機会があるごとに研究会を開催したいと考えている。

議論は多岐に渡ったので、ここで再現することは断念する。特筆しておきたいのは、今回の研究会に明星大学准教授の村井則夫氏を迎えられたことである。『ニーチェ――ツァラトストラの謎』(中公新書)を出版されたばかりの村井氏は、ハイデガーの専門家でもあり、質疑応答において、非常に示唆的な議論を提示していただいた。またそのとき「ナトルプ報告」を論じた氏の論文「「表現」の現象学から「像」の解釈学へ――ハイデガー「ナトルプ報告」を基軸として」(『実存思想論集 XVI』 2001年 理想社)も話題になったことも付け加えておきたい。

(文責:森田團)



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