Members / メンバー紹介

 
竹峰 義和
Name:

竹峰 義和 (TAKEMINE Yoshikazu)

Fields:ドイツ思想史、映像文化論
Category:
所属教職員
 
所属/職位:

言語情報科学専攻/准教授

主要業績
- 書籍:

単著
・『〈救済〉のメーディウム――ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』東京大学出版会、2016年
・『アドルノ、複製技術へのまなざし――〈知覚〉のアクチュアリティ』青弓社、2007年

共著
・「イメージから抵抗へ――アドルノ美学とストローブ=ユイレ」、渋谷哲也編『ストローブ=ユイレ──シネマの絶対に向けて』森話社、2018年、近刊
・“A emancipação das imagens fílmicas: Montagem em Theodor W. Adorno e Alexander Kluge“, in: TEORIA CRÍTICA NA ERA DIGITAL, Publicado em janeiro 2015, pp.141-150
・「ミッキーマウスのユートピア的身体――ドイツにおけるディズニー・アニメ受容」、東京大学教養学部編『分断された時代を生きる』白水社、2017年、123-134頁
・「犯行現場としての心――G・W・パプスト『心の不思議』をめぐって」、真野倫平編『近代科学と芸術創造――19〜20世紀のヨーロッパにおける科学と文学の関係』行路社、2015年、231-258頁
・「「おまえはカリガリにならなければならない!」――ヴァイマール映画における陶酔と越境の契機をめぐる一考察」、鍛治哲郎/竹峰義和(共編)『陶酔とテクノロジーの美学――ドイツ文化の諸相1900-1933』青弓社、2014年、46-64頁
・「西部への呼び声――ナチス時代のルイス・トレンカーの越境的活動をめぐって」、堀潤之/菅原慶乃編『越境の映画史』関西大学出版部、2014年、169-209頁
・「欲望のコロニアルな対象――貴志康一の『鏡』と映画脚本『ニーナ』をめぐって」、長木誠司他編『貴志康一と音楽の近代』青弓社、2011年、229-242頁
・“Is It Barbarous to Watch TV after Auschwitz?:Th. W. Adorno on 1950s Television”, Fabio A. Duraõ (ed.), Culture Industry Today (Cambridge Scholars Publishing), 2010, pp.71-92
・“Dialektik der Gastfreundschaft: Zur Theodor W. Adornos Deutung der Odysseus-Figur“, in: Figuren des Transgressiven, hg. von Kanichiro Omiya, München: Indicium, 2009, S. 156-167
・「「迷妄の教え」――シュミット/ヴァーグナー/カント」、仲正昌樹編『美のポリティクス』御茶の水書房、2003年、133-168頁

主要業績
- 論文:

・”Beschwörung der filmischen Gespenster: Zu Theodor W. Adornos Reflexionen über technische Medien”、『言語・情報・テクスト』 21号、2014年、1-12頁
・「熊の教え――ポール・ド・マンのクライスト読解をめぐって」、『思想』1071号、2013年、150-167頁
・「外来語の救済――初期アドルノにおけるクラウス的主題をめぐって」、『思想』1058号、2012年、152-172頁
・「DU MUSST CALIGARI WERDEN! Selbstverlust und Rausch im Weimarer Kino」、『桜文論叢』80号、2011年、121-131頁
・「気散じと陶酔の弁証法――ベンヤミンとアドルノのワーグナー解釈における映画的モティーフをめぐって」、『年刊ワーグナー・フォーラム』2010年、98-113頁
・「ハリウッドの精神からの全体主義の誕生――アドルノの文化産業論をめぐって」、『桜文論叢』77号、2010年、35-54頁
・「マルクス主義の死後の生――アレクサンダー・クルーゲ『イデオロギー的な古典古代からのニュース:マルクス-エイゼンシュテイン-資本論』(2008年)をめぐるノート」、『思想』 (1032)、2010年、93-112頁
・「投壜通信からメディア公共圏へ――アドルノとクルーゲ」、『ドイツ研究』 43号、2009年、111-123頁
・「パサージュ――遊歩と移行のトポス」、『〈時代〉の通路――ヴァルター・ベンヤミンの「いま」(UTCPブックレット)』、2008年、45-57頁
・「キッチュ: 破壊と救済のはざまで――アドルノ美学におけるキッチュの位置をめぐって」、『シェリング年報』16号、2008年、116-125頁
・「アウシュヴィッツのあとにテレビを見ることは野蛮か――テオドール・W・アドルノの一九五〇年代のテレビ論をめぐって」、『表象』1号、2007年、119-134頁
・「イメージ・文字・救済――Th. W. アドルノの文化産業論再考」、『UTCP研究論集』9号、2007年、1-14頁
・「芸術の認識機能――1930-40年代にかけてのテオドール・W・アドルノの芸術美学における社会批判的モティーフをめぐって」、『UTCP研究論集』6号、2006年、5-18頁
・「啓蒙とプロパガンダの弁証法――1940年代の社会研究所のメディア・プロパガンダとの取り組みをめぐって」、『超域文化科学紀要』1号、2006年、155-167頁
・「映画のなかの自然美――後期アドルノの映画美学における知覚の問題」『UTCP研究論集』 2号、2005年、57-70頁
・"Schlagt den Schlager: Transformation der Figur des Schlagens in Theodor W. Adornos Exilschriften"、『ヨーロッパ研究』3号、2004年、23-42 頁
・「「国民的精神」の招喚――溝口健二の「国民映画」再考」、『表象文化論研究』 2号、2003年、28-43頁
・"Das revolutionaere Primat des stummen Films: Stummheit und Musik in Walter Benjamins frueheren Schriften", in: Poetica: Zeitschrift fuer Sprach- und Literaturwissenschaft 34(3-4), 2002, S. 427-442
・「二つの『スピオーネ』――フリッツ・ラング『スピオーネ』、及びテア・フォン・ハルボウによる小説版『スピオーネ』について」『超域文化科学紀要』 5号、2001年、120-132 頁

主要業績
- その他:

・ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば――ヘルダーリン詩学にまつわる試論』月曜社、2018年
・テオドール・W・アドルノ『模範像なしに――美学小論集』みすず書房、2017年
・ミリアム・ブラトゥ・ハンセン『映画と経験――クラカウアー、ベンヤミン、アドルノ』(竹峰義和/滝浪佑紀訳)法政大学出版局、2017年
・ベルント・シュティーグラー『写真の映像』(竹峰義和/柳橋大輔訳)月曜社、2015年
・『ポケットマスターピース01 カフカ』(多和田葉子編、共訳)、集英社 2015年
・ヴィンフリート・メニングハウス『吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史』(竹峰義和/知野ゆり/由比俊行訳)法政大学出版局、2010年
・アレックス・デミロヴィッチ『非体制順応的知識人』(共訳)御茶の水書房、2009年
・テオドール・W・アドルノ『文学ノート2』(共訳)みすず書房、2009年

ホームページ:

http://gamp.c.u-tokyo.ac.jp/index.html


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