Events / イベント

« 前へ | 次へ »
Title:

「共生のための障害の哲学」第8回研究会「フェミニスト現象学と障害」

終了しました
Date:
2012年10月15日(月)14:30-18:00
Place:
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1

「共生のための障害の哲学」 第8回研究会
「フェミニスト現象学と障害」

講演
齋藤 瞳氏(日本大学 通信教育部 非常勤講師)
「私の身体はどこまで私のものか」

【要旨】
一般に、私の身体は私のものであり、私は自分自身の身体に対する所有権をもっていると考えられている。しかし身体=私のものという図式は、とりわけ女性の身体の場合には揺らぐ場面が多々ある。中絶、代理母、着床前診断、出生前診断、養育、介護など、それぞれの場面が、それぞれ多様な仕方で身体=私のものという図式にさらなる考察を求めているように思われる。一体、私の身体に関する権限は自分以外の誰にも属していない、まさに自分のものであるとどこまでいえるのだろうか。この発表では、代理母および着床前、出生前診断に焦点をあわせて、そこに生じるいくつかの問題を取り上げながら、身体=私のものという図式を再考する。

筒井 晴香氏(立教大学/日本学術振興会 特別研究員 PD)
「「私の脳が男/女だから」~「男脳・女脳」言説とナラティヴ」

【要旨】
TV番組や本・雑誌などで散見される「男脳・女脳」絡みの言説においては、ステレオタイプ的な男女観に沿った仕方での科学的知見の誇張や拡大解釈が散見される。この種の言説の特徴は、「脳」や「脳科学」といったキーワードを目立つ形で用いながら、実際の内容は科学よりも人間関係の安定や自己実現を主題とし、日常生活の中の具体的なエピソードをふんだんに盛り込んでいる点である。注目すべきこととして、「脳」の語は、人々の生活の中で、いわゆる脳科学ブームとはある程度独立に、メタファーとして広く用いられている。この点は、「男脳・女脳」言説が容易に人々の経験についての語りの資源として利用されうることを示唆している。
 本発表では、病いや障害についてのナラティヴ研究を参照しつつ、「脳の性差」への言及が経験についての物語の構成においてどのように用いられているのかという観点から「男脳・女脳」言説やそれに対する反応を捉えていく。そしてそれを手掛かりに、科学的・生物学的説明と物語的説明の関係について考えたい。

宮原 優氏(いわき明星大学 非常勤講師)
「アシュリー事件に見るセクシュアリティの拒絶とその意味」

【要旨】
2004年、両親の強い希望と主張によって、重度重複障害のある6歳の少女アシュリーに、3種の医療介入が果たされた。子宮摘出、乳房芽摘出、伸長抑制というこれらの医療介入によって、アシュリーの体は、小柄で、乳房が膨らまず、月経も訪れないものとなった。彼女のQOLのためであると両親によって主張されるこれらの施術は、いずれもアシュリーのセクシュアリティに深くかかわるものであるということができる。これらの施術をセクシュアリティの拒絶として考えた場合、この事件はセクシュアリティについて我々に多くを教えるものとして現れる。この研究は、アシュリーの両親が彼女のセクシュアリティをどうとらえたのか、またなぜそう捉えたのかを考察する。そのうえで、どのようにそうした事態が避けられうるのか、一定の展望を示すことを目的とする。

使用言語:日本語|入場無料|事前登録不要
連絡先:cishi08 //at// mail.ecc.u-tokyo.ac.jp (石原孝二) (//at//のところを@に変えてください。)

20121015_L2_8.jpg

ポスターをダウンロード

UTCP上廣共生哲学寄付研究部門「共生のための障害の哲学」(L2)プロジェクト


« 前へ  |  次へ »
  • HOME>
    • Events>
      • 「共生のための障害の哲学」第8回研究会「フェミニスト現象学と障害」
↑ページの先頭へ