破急風光帖

 

★  日日行行(406)

2020.12.16

* 前回から半月も経ってしまいました。今日は、これから六本木ヒルズに出向いて、森村泰昌さんとのトークです。出発前のわずかな時間、冬の青空を眺めながら書いています。この間、娘一家と京都に行ったりと家族イベントもあり、結構忙しかったのですが、それ以上に、『煉獄のフランス現代哲学』下巻の校正で切羽詰まった状況が続いていました。なんとかぎりぎりで校正終了できて、来週には刊行ということになりますが、昨夜も(すでに遅し!)わたし自身がある日付に関してとんでもないミスをしていたことがわかって、ああ、老いたなあ、とがっくり、というようなことが続いて心は揺れる荒海でありました。

 そんななかでも8日には、お知らせしたように、高雄有希さんのピアノを聴きに上野へ。ひさしぶりにコンサートホールのなかに響く生の音を聴きました。とりわけ、ブラームスのバラード(op.10)、好きな曲ですが、その4つの曲はまるで人生の展開のようで、最後の4曲目になると、そうそう、いまのわたしの「生」の風景はこうだよなあ、と涙が出ました。ラヴェルの「ラ・ヴァルツ』も絶品だったですね。やはりこの場で立ちのぼる音楽に包まれていたいです。
 いずれにしても、なぜか『死の秘密、《希望》の火』というタイトルにしてしまった煉獄本が年内に出ることによって、わたしの「生」もひとつの区切りです。ミスの多い「区切り」ではありますが・・・そういう人間なので仕方がないか。しかし、この煉獄本、ほんとうに危ない企画だったなあ、とつくづく思います。全部で11本の墓標を立てるというような恐ろしい企てをなんでやったのだったか、あやうく次は自分自身の墓標だったのではあるまいか、と思わないでもありません。まあ、そんなこともあって、いま、冬の明るい青空のなかにぽっかり白い雲のように浮かんでいられるのは幸せですね。今年も暮れていきます。
 さあ、森村さんと三島由起夫についてどんな話になるのかな?Mという「ギ装置」、三島のM、マリリンのM、マルセルのM,森村のM・・・・わたしもわたしのMをそろそろ明かすべき時なのかもしれませんね。
 


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