破急風光帖

 

★  日日行行(339)

2020.04.29

* 「生とは現存(プレザンス)である、つねに、いまここに、この瞬間にある現存である。人なるものがいなくなったときにこそ、ただただ生つまり意志的ではない活動がある。非意志において生きること、それこそ歓びにおいて生きること」。

 少し前に「セレニテ」について語り、また「プレザンス」についても語ったので、その流れで、この言葉を引きました。Jean Kleinの言葉。といっても、ほとんど誰もJean Kleinを知りませんよね?1912年にベルリンで生まれ、1998年に亡くなっています。インドのいわゆるAdvaïtaの教えの継承者。Non-dualitéの教えです。わたしにとっては「セレニテ」について教えてくれる貴重なマスターのひとりかな。かれの娘Nitaが刊行した「A l'écoute de Jean Klein」(éd. Almora. 2012)などは、わたしの枕頭の書の一冊ですね。
 今日は、奇妙なことにイギリスの天才数学者ペンローズのスピノールについての解説を読みながら、時間の平方根を考えるという妄想にふけって、「ある/ない」の表裏一体的あり方から意識というプレザンスに考え及び、そこでジャンプして手もとにあったJean Kleinの本を読み返したりしたわけです。
 と、こんなこと言っても無意味ですよね・・・一応4月中は毎日ブログ書いてみようかと思ってはじめたのでしたが、ほとんど語るべきなにもない日々。まさに意志なき生、La vie non-volitiveですが、セレニテにはほど遠い。
 まあ、わたしの秘密の読書の一端を明かしておこうか、と思って書いているわけです。ある意味ではスピリチュアルな本ですが、フランス語で書かれたものは、きわめて論理構造がしっかりしていて、知的説得力が強いですね。非常におもしろいユニークなものがたくさんあります。そこに東と西の知の伝統の真の融合の可能性を見る思いがするのですけれどね・・・


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