破急風光帖

 

★  日日行行(331)

2020.04.21

* たしか本ブログ[318]の最後に「未来への提案」のテクストを依頼されたことを書きました。そのテクストが公開されましたので、よろしければどうぞ。
https://www.academyhills.com/note/opinion/collaborative-essay/index.html
https://www.academyhills.com/note/opinion/collaborative-essay/2020es2.html

 六本木のアカデミーヒルズからの依頼でした。すでに本ブログでも触れていますが、アンドレア・ブランジさんの「一個の謎」、「一個の例外」という言葉を含むテクストを引用してしめくくっています。
 と、過去のブログへの「追伸」の形になってきたので、そのひとつ前[319]の後日談も一言。ありがたいことに、ブログに応答して、わが「花々」の花子さん晴子さんからそれぞれCDが送られてきました。「鮎川のしずく」、「うたびこ」そして「0」。車を運転しながら何回か聴きました。なるほどと彼女たちの論の組立がようやく理解できました。思うことは、なぜか、これは21世紀の日本のボサ・ノヴァかなあ、みたいな。きっと的外れでしょうけど。J・ジルベルトのことを思い出したりしてしまいました。まだ数回聴いただけだけど、わが教え子たちと張り合う気になって、わたしならどう論じるかなあ、と考えたりもする。やはり「息」、吸い込む「息」からかな、その「息」が「トンネル」になって「入口/出口」。言葉が、語句ではなくて、「ひらかな」の一字ずつが「歌」になっていて、ひらかなボサ・ノヴァ。いずれにしても「失われたもの」、決定的にはじめから失われてしまっているものへのサウダージですかね?「歌」がすでに世界から独立しているのではなく、世界に溶け込んでいくことのみを求めているみたいな。でも、不思議と「涙」へと至らない。すでに「涙」も失われていたりするんだろうか。生き残り、ぼくらには・・・でも、この人こそ、まさに「一個の謎」、「一個の例外」ですね。すてきです。


↑ページの先頭へ