破急風光帖

 

★  日日行行(324)

2020.04.14

* このように毎日自宅で食事をするようになると、料理をつくるだけではなく、当然、毎回、洗いものをしなければならない。家には食洗機という便利なものはないので、手で洗うわけですが、そのたびごとに思い出す言葉があります。前回の野口晴哉さんの言葉に続いて、今日は、別の人の言葉をあげてみますか。

「洗いものをするということは、ただきれいな食器のためではなくて、まさに洗いものをするため、洗いものをするそのたびごとの瞬間を生きるためなのです」。これは、マインドフルネスのブームを生み出した人のひとりというか、禅の技法を世界化した人というか、フランスに長く住むヴェトナム生まれの僧ティク・ナット・ハンの言葉です。日本でもたくさん翻訳が出ているみたいですが、わたしが読んだのはフランス語訳で「La Sérénité de l'Instant」(éd. J'ai lu, 2008)、英語からの訳で、原題は、Peace is evry Step, 1992. です。仏訳タイトルのSérénité (セレニテ)という言葉は、なかなか日本語にならないけれど、明るい静謐さという感じかな。わたしにとっては大事な言葉です。
 たぶんそのタイトルに魅かれて、パリの本屋で手にとって読んだのだと思いますが、いまでもこの「洗いものをする」という項目を読んだときに不意をつかれた驚きは忘れることができません。洗いものをするのは、きれいな食器を手にするため!ではないんだ、「洗いものをする」そのこととしてあるのだ。つまり、逆に言えば、目的論的意識構成こそ、「意識の充実」を妨げるものなのだ、と。
 目から鱗、というべきか。それまで、わたしは洗いものこそ、手早くささっとお皿を洗うと思っていたのだけど、そうじゃない、とこの僧は言う。もちろん、ほかにもいろいろなことを言ってくれているのですが、ほかは全部忘れたけれど、この「洗いもの」だけは忘れられません。
 たしか数年前に、ティク・ナット・ハンさん、ご高齢で重い病いから奇蹟的恢復というニュースがありましたが、まだご健在なのでしょうか。フランスにご自分が開いた道場で「静謐な時間」を生きてらっしゃるのでしょうか。急に思い出してしまいました。


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