破急風光帖

 

★  日日行行(290)

2020.02.10

* すでに書いたように、今回は、なんとなく「パリ」という街の文化をあらためて自分なりに再確認するような感じがします。19世紀後半に形成された、まさに「ブルジョワ文化」の「華」。「悪の華」と言ってもいいのですが、わたしの修論はボードレールだったし、卒論はマネだったし、わたしの精神は、このパリ的「ブルジョワ文化」の花々を摘むことでつくられたと思いますね。

 だから、昨日、カトリーヌさんとサン・ジェルマン・デ・プレのブラッスリ・Lippでシュークルットを食べていたりすると、そのまわりの喧噪の空間がまさに第三共和制下のパリだよねえ、となって時間錯誤が起こる。それがおもしろいわけですね。この「ブルジョワ文化」、当然、「欲望の全面的な解放」が軸だったわけですが、資本主義と通底しているこの「欲望」の文化が、いま、臨界点に達している、それだけはたしかだと思います。カトリーヌさんとも、この10年、いったいどういうカオスが人類にふりかかってくるだろうか、そのなかで文化の地平はどう変わるだろうか、などと対話をしました。
 夕方は、そのままモンパルナスまで歩いて、ヴァヴァンのいつものカフェLe Select、これは今度は20世紀前半、両大戦間のベル・エポックの拠点のひとつだったわけですが、そこで音楽家のマキさんと会いました。彼女からは、数日遅れの誕生日祝いで、ミモザと白百合の花束をいただきました。
夜は、その近くのクレープ屋さんで、青学の院生のマドモワゼルたちとガレットとシードルで、Yasuo流パリ講座の最後の締め!これで任務完了。おかげで、わたし自身もあらためてパリの質感を十分堪能できました。自分の人生にとって、「パリ」という場がなんであったのか、を考えましたね。
 ついでに言えば、最近、やはりわたしの精神はフランス語によって形成された、という感も強くします。日本語ではないなあ、と。近著の『若い人のための10冊の本』のように語りかけのスタイルを採る場合は別なのですが、そうでないと、やはりわたしが書くものは、日本人には響かないかもしれないなあ、といまさらのように「言語の限界」を感じます。イレーネさんとの詩画集の詩のテクストには、フランス人からは即座の反応がたくさん届きましたし。フランス語だとわたしは「詩人」になれるみたい。
 そういう奇妙なことを、ぼんやり考え、振り返る、そんなパリ滞在。さあ、書かなければ!
 イレーヌさんからは、次のテーマを与えられているのですが、この2月になにかおりてくるかしら?しばらくは、自分を隔離しなければ・・・あ、でも、今日もこれから昼は、画家のヒロシさんに会うのでありました。今日はオペラ地区へ、ですね。

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