破急風光帖

 

★  日日行行 (164)

2018.06.18

* で、昨日は朝はまたしてもモーツァルト、そして午後はフィッツジェラルド。

 ミューザ川崎シンフォニーホールで11時からはじまる「モーツァルト・マチネ」へ。園田隆一郎指揮の東京交響楽団。お目当ては、今年1月にお会いしたすてきなコロラトゥーラ田中彩子さんの歌。わたしが聴いたことのなかったモーツァルトのアリエッタ「別離の時の鐘は鳴り」、アリア「私はあたなにうちあけたいのです、おお、神よ!」。遠く立ちのぼる清らかな声。人間の思いが天へとのぼっていく。真っ赤なドレスの彩子さん、すてきでした。2曲だけだったので、もっと聴きたかったと、少し物足りなかったですが。

 そしてそのまま、午後は、日本青年館ホールで、生まれてはじめて宝塚の公演を観ました。The Last Party、「フィッツジェラルドの最後の1日」という副題をもつミュージカル。フィッツジェラルドが死を迎える2時間前。2時間というのはこの公演の時間なのでしょう、そのあいだにかれの華麗にして、悲痛な人生を振り返り、作家としてのかれの魂の最後の光景はなんであったのかを、想像しようとするきわめて野心的な作品。宝塚でこういう形而上学的ともいえる作品がかかるということにびっくりしました。脚本演出は園田景子さん。2004年初演の再演でした。公演のあとは、わたしを招待してくださった人が、園田景子さんとお食事をする場にわたしも呼んでくださったので、この不思議な作品制作の切っ掛けとか、いろいろ舞台裏のお話もうかがえて、学ぶことも多く、楽しかったです。
 こうして、この週末は、どこまでも表象文化論!でありました。
 心のなかに、アリアが流れ、ニューヨーク20年代の光景が浮かび、創造する人間の魂の孤独が触覚できる。
 例外的に華麗であったこのweek-endだって、わたしにとってのThe Last Partyの一部なのかもしれませんよね。
 日日、the last party、そして行行、ただ行くのみ。
 どんより曇る今朝の梅雨空に向かって呟きます。

 今週はうってかわって、長年かかわっている、いくつかの財団関係の会議が連日続きます。そして週末、土曜23日の午後に、わたしが所属する青学の総合文化政策学部10周年記念の第2回のトーク・セッションが、青山アスタジオ地下ホールで行われます(14時半から)。わたしは登壇はしませんが。企画のお手伝いをしています。

 


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