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【報告】 UTCPイスラーム理解講座第5回

2008.06.09 羽田正, 世俗化・宗教・国家, イスラーム理解講座

6月6日(金)飯塚正人教授(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)をお迎えして、第5回イスラーム理解講座が開催された。「なぜいまイスラーム復興なのか―近現代イスラーム思想史から考える」と銘打たれた講演において、「イスラーム復興」の内実について言及が為された。

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冒頭において、まず結論が述べられた。イスラーム復興なるものは、我々が外から見るぶんには、イスラームが西欧との差異化を図る動きとして映り、その点が強調される。しかしイスラームの内側の思想や政治状況に鑑みれば、そういった側面よりもむしろ先の急速な西欧化に対する揺り戻し、「近代」とイスラームを両立するためのプロセスの一部として現れたものと言ったほうが適切であるとのことであった。

その後に、イスラームの信仰の構図やクルアーンの章句、多数派であるスンナ派の立場やイスラームの法規定が説明され、イスラームそのものの性質について解説が行なわれた。イスラームの信仰において、神の命令に服従することは来世の祝福を約束するものであると同時に、現世の共同体の繁栄をも保証するものだった。そして19世紀までは「イスラーム世界」の地位は確固たるものであり、ムスリムは現世の繁栄を実感することが出来ていたのである。

しかし、西欧の台頭とイスラームの地位の相対的な低下に伴い、状況は変化する。ムスリムはヨーロッパの後塵を拝す状況に思いを巡らせ、その所以を複数の要因に求めたが、その結果としてのムスリム側の政策の主流は、20世紀半ばまでは例外なく西欧流の政教分離路線であった。これらの政策を思想面で支えたのが近代ヨーロッパ文明とイスラーム思想とは矛盾しないという考えであり、例えば議会制をイスラーム的に正当化することも為された。

そして、このヨーロッパとイスラームとの和合が志向された時期を経て、今日の「イスラーム復興」が在るのである。飯塚氏はこの変遷を追う上で、イスラームの象徴と看做されるところのヴェールに焦点を当てる(ただし、ヴェールが純粋にイスラーム的な慣習であるかどうかには多分に疑問の余地があるとの氏の留保も書き記しておく必要があろう)。西欧型の政教分離が目指される中で、ヴェールや女性の地位について様々な方向から議論がなされた。イスラームの後進性を主張するヨーロッパ側からの攻撃があり、西欧近代文明=イスラームを主張するムスリム思想家たちの主張があったのだが、しかし双方の議論に反発する形で、西洋とは異なるイスラーム固有の価値観に従うべきだとするもう一方の極の先鋭化も見られた。

こうした多元化の中で今日、イスラームとは何なのか、ムスリムにとってもそれに答えるのは困難な状況となってきた。彼らの多くはヨーロッパとイスラームとの位置づけにおいては、2つの極の中間に居る。そして「イスラーム復興」の中核を為すのはまさにこのような、極の中間に居る人々なのである。

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1970年代以降の我々の眼にも見える「イスラーム復興」の動きは、オイル・ショック以降にムスリムが一部取り戻した自信に基づくものでもあるが、政府による宗教の利用という側面もかなりある。政治をイスラームの文脈で語ることが一般化し、政教分離が否定されてゆく。さらに、「イスラーム政府」を自称する政権の側と、それを疑う人々との対立が(この対立は両者の角逐ではなく、互いの自己評価のしあいという形で現れるのであるが)、イスラーム主義を教育する前者が後者を生産し続けているという現状に応じて繰り返されている。

近代的な概念である「国家」や「社会」の「イスラーム性」を問う動きとして顕在化した「イスラーム復興」は従って、「近代」とイスラームを両立させるための長いプロセスの一部と見ることも出来るのではないか。以上が飯塚氏の講演の内容であった。

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講演の後に質疑応答の時間がとられ、活発な議論が展開された。今のイスラームそのものが「近代」の産物なのではないかという指摘や、1対1でしか契約が成立しないイスラーム社会と国民国家との関係を問う質問、さらには西欧を含めた世界的な宗教復興との関連性、政教分離という語についての質問があり、それぞれに有意義な議論が展開された。

【文責 諫早 庸一】

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