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Title:

第21回駒場哲学フォーラム

総合文化研究科関係者のみ
Date:
2025年10月23日(木)17時半‐19時半
Place:
101号館2階研修室(階段目の前)

第21回駒場哲学フォーラム
哲学の起始とは何か―九鬼周造と西田幾多郎を例として

日時:2025年10月23日(木)17:30-19:30
場所:駒場キャンパス 101号館2階研修室(階段目の前)
発表: 清水 凜(現代思想コース)

題:哲学の起始とは何か―九鬼周造と西田幾多郎を例として
 「哲学の起始とは何か」。この問いに、プラトンとアリストテレスは「驚き(タウマゼイン)」と答えた。それは、人間の理解の範疇を超え出るこの世界のあり方そのものへの「驚き」であり、人間を知の探求(フィロソフィア)へと駆り立てる知的情緒である。
 「現実の世界の偶然性に対して驚くこと、驚いて心臓に動悸を打たせることが、終始一貫して、哲学思索の原動力でなければならない」と言った九鬼周造も、彼らの答えを引き継ぐもののうちの一人である。ただし、九鬼周造の場合、それは「世界」のあり方への知的な驚きであるにとどまらず、「この私」が今このようにあることへの眼差しも含んだ実存的な情緒であった。
 対して、近代日本哲学の巨人・西田幾多郎は、「哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」と言っている。西田幾多郎の場合、それは家族を相次いで亡くした自身の実生活における実感と深く結びつくものであっただろう。
 「哲学の起始とは何か」という問いを哲学者に問うことは、その哲学者の学問に対する態度を浮き彫りにすることであると同時に、その答えは哲学者自身の実生活やパーソナリティと深く関わらざるをえない。それは百人の哲学者がいれば百様の答えがある、というたぐいの問題である。しかし、学問に向かう動機をそれぞれ異にする哲学者が、それでもみな「哲学」をしているのだと言えるとすれば、「哲学の起始」を問うことは「哲学とは何か」という問いを考えることにもつながるのではないだろうか。
 そこで、今回の駒場哲学フォーラムでは、まず発表者が「哲学の起始とは何か」という問いに対する九鬼周造と西田幾多郎の答えを紹介したのち、その問いを参加者同士の議論に開きたい。つまり、参加者同士が「なぜ哲学を学び始めたのか(なぜ哲学に興味を持ったのか)」という問いに関して(可能であれば)自身の事例を共有しあったり、一般に「人を哲学に駆り立てるものは何か」「哲学の根本情緒とは何か」といった問題について議論したりすることを通して、「哲学の起始とは何か」という問いについて考えてみたい。それは、ひいては「哲学とは何か」という問いを問うことにもつながるはずである。
(なお、発表者の関心の関係から九鬼周造と西田幾多郎を扱うだけで、特に日本の哲学について議論したいわけではない。むしろ、議論において、参加者諸氏の専門とする哲学者が上の問いに関してどう言っているか紹介していただければ幸いである)

※参加を希望される方は以下のリンクから案内文を確認の上、ご連絡ください。
https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2022/05/post_243/

主催:駒場哲学フォーラム
共催:東アジア藝文書院(EAA)、共生のための国際哲学研究センター(UTCP)


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