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梶谷真司 邂逅の記録91 国際哲学オリンピック 2017 in Rotterdam(3)

2017.06.20 梶谷真司

今年の課題文は、以下のとおりである。

1)支配者の権限に逆らおうとすれば、その権威を必ず侵害することになる。しかし、もしも策略や怒りや憎しみからではなく、あるいは、自力で国家を変革しようとする意図もなく、ただ理性によってのみ話したり教えたりするのであれば、考え、判断し、話すことには何の制約もない。 (スピノザ『神学・政治論』)

2)ある個人が外から操られ考えを植え付けられて、師の意見を自分の意見として繰り返し唱えていると、最初は他律的だったのがやがて自律的になっていく。そのような人に寛容さが与えられた場合は、常に誰に対しても寛容な態度は、疑わしいものになる。(ヘルベルト・マルクーゼ『抑圧的寛容』)

3)科学技術の時代には、公共の専門的なやり取りは、効果的な協働と政治的な共存のために、思想的に中立的でなければならない。中立性というのは、行政的態度としては、倫理的な徳である寛容さとは異なる。だが専門的な領域での中立性は、寛容さという倫理的な徳の中に含意されている。寛容さという徳のこうした客観的な変容、すなわち、他人の欠点ある行動に耐える態度から異なる種類の活動を許容する態度へと変化するのは、我々の科学技術社会における徳の客観的な変容である。(今道友信「エコエティカの概念と道徳思想の発展」)

4)自分のことを吟味できない人に見られるもう一つの問題は、あまりにも人から影響を受けやすいということである。ある有能な扇動家が心動かす巧みな弁舌で悪しきことをアテネの人々に吹聴した時、その人たちはみなあまりにもたやすく心揺さぶられ、その話の中身を吟味することは決してなかったのだ。(マーサ・ヌスバウム『経済成長がすべてか?――デモクラシーが人文学を必要とする理由』)

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この課題文が、英独仏西の4か国語で書かれており、高校生はこの4つの言語のいずれか、母語以外の言語でエッセイを書くことになっている。今年は出場者が総勢95名で、大半は英語で書くが、英語圏の人は他の言語で書かなければならず、フランス語が3人、スペイン語が2人、ドイツ語が1人であった。文法的なミスやつづりの間違いなどは減点されず、基本的にはエッセイの内容が評価の対象となる。今年は、例年とは異なり、大会テーマであるToleranceと関連する社会哲学的な課題文が多く、認識論や存在論や美学に関わるものがなかったので、好みや相性の点で不公平だったかもしれない。多くの高校生がすぐれたエッセイを書いていた。

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当たり前のことだが、どういうのがいいエッセイなのかは、一概に言えない。哲学や哲学史の知識を駆使して書く子もいるが、これは相当に正しい知識がないと書けない。ただ、きちんとした文脈や議論もなく哲学者の名前や概念を持ち出すのは、name-droppingと言われ、低く評価される。哲学の知識は必ずしも必要ではなく、むしろそうした概念を持ち出すことなく、自分自身の言葉できちんと問題を深めて書いていくエッセイの方がはるかにいい評価を得られる。いずれにせよ大事なのは、論点が明確で説得力と一貫性のある議論がなされていることだ。長さも関係ない。わずか4時間で10ページも書く強者もいるが、量で評価されるわけではない。わずか4ページで金メダルを取るエッセイもある。

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今年の結果は、金メダルがイスラエル、ハンガリー、セルビアであった。銀メダルはルーマニア、クロアチア、オランダ、デンマーク、スペイン、銅メダルはグアテマラ、インド、エストニア、スロバキア、ギリシャであった。東ヨーロッパ勢の強さは相変わらずだ。日本代表の二人は、あともう少しで奨励賞に届かなかった。

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今年も国際哲学オリンピックへの参加は、国内予選の倫理哲学グランプリ、夏のサマーキャンプ、冬の代表選考会から国際大会への渡航まで、公益財団法人上廣倫理財団の全面的支援を受けている。各国が財政面で様々な苦労と工夫をしていることを考えると、日本はたいへん恵まれている。心より財団に感謝するとともに、来年に向けてこちらとしてもさらに努力をし、選手の育成に努めたい。

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