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時の彩り(つれづれ、草) 019

2008.01.21 小林康夫

☆ パリ続き(1)

UTCPのパリ・フォーラムについてはすでに郷原さんの丁寧な報告がアップされている。ささやかな会ではあるけれど、パリで、しかも大学の空間のなかではなく、国際哲学コレージュという大学の「余白」――しかもジャック・デリダのイニシアティヴで開かれた――場所で、われわれが主催する形で、哲学の問いのイベントを行うことの意味は少なくない。だが、その「意味」はどのように理解されているのか?

もちろん、いわゆる「成果」は、6本の発表をまとめてUTCPのブックレットの形で近く公刊する予定だが、しかしわたしとしては、そのような学術的な「成果」には還元できない「意味」について少しだけ触れておきたい。

このフォーラムは学会ではない。国際学会という「権威」のもとで、その「権威」に参与するために発表が行われたのではない。また、大学間の交流協定などに基づいた大学の国際連携ともまた違っていた。日本からの参加者は、まさに国際哲学コレージュの創設理念にもっとも近いとも思われるプロブレマティックを掲げて、フランス側の参加者に呼びかけると同時に、――ほとんど当然のように!――全員がフランス語で原稿を用意して発表を行ったのである。「英語」という「国際語」ではなく、フランス語である。

たとえそこで取り上げられた主題が、デリダ、ブランショ、ラカンというようにフランス語圏の哲学思想家であり、発表者は誰もがフランス語の思考圏のなかでいちどは「教育され」、養われたことがあったわけだから、ある意味では「返し得ない負債」を背負っているともいえるのだが、しかしそれでもなお、これは、フランス語の思考圏に向けての「贈与」、反転したホスピタリティとも言うべきもうひとつの「贈与」であることはまちがいない。

われわれはわれわれの思考を「日本語の外」に開こうとしたのであり、それがどれほどささやかなものであったとしても、それだけですでに少なくない「意味」をもっている。わたしは、「権威」からではなく、(こう言ってよければ)「友愛」から出発して自分の思考を他者に他者の言語で届けようとするその身振りのなかに、そう、「教育」の「希望」を見る。それは同時にUTCPの「希望」。


☆ パリ続き(2)

わたし自身がパリに留学していたのは1979年から1982年までの3年間あまりだったが、そのときもっとも親しかった友人が同じパリ第10大学の博士課程同期のハシェム・フォダ(いまはパリ第8の先生。イスラーム以前のアラブの詩が専門)だった。

デリダの講義に出て、その後何時間も二人でその講義についての「復習(?)」をしたり、ラカン派の精神分析医といっしょにラカンの「カントとサド」の読書会をわたしの小さなアパルトマンで開いたり、さらにはかれの妻とわたしのガールフレンドと4人でブルターニュを旅したこともあった。

今回のパリ滞在の最後の日の午後に思い立って電話。そうしたら急な話なのに夕食に来て、ということになって訪れたら、扉を開けた瞬間に幼い息子二人の歓迎というか襲撃というか。

久しぶりなのでデリダのことも含めていろいろな話題が飛び交ったが、昔話になったときに、そうだ、わたしはマラルメで博論を書くつもりでパリに行ったのに、ハシェムのマラルメ読解(「白い睡蓮」だったなあ)に圧倒されてこれは適わないとテーマを変えたのを思い出した。同世代の海外のすぐれた研究者に出会うことの(ちょっと不幸なところもあるが)幸福!

3月にNYUでわたしが行う予定の「時代」セミナーに来てイスラームの「時代」について語ってよ、と要請してあるが、さて、謙虚すぎるハシェム・フォダ、来てくれるかどうか。

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