Arbre / 哲学の樹

思考のパルティータ 10: 〈歴史の真理〉に向かって (10)   小林康夫

かならずしも直接的に関係があるわけではないひとつのテクストのあるパッセージが、突然に、火花のように、目配せのように、ぜんぜん別のテクスト、いや、いくつものテクストが多層的に重なったテクストへとわたしを送り返す。

出来事などとはいわないが、そんな特権的な《時》(モメント)をこちらも貧しい、それでもテクストへと展くことを試みようか。それがどこかで《歴史の真理》の方へと向かう道へとつながることを希望しながら……


その問題のパッセージ、それは次のようなものだ。
 
 

「それは、自分が内向きの爆発を起こす運動そのものを展示し、かつ記録として保存する。すなわちそれは、自分のあった場所に、テクストと呼ばれるものを、つまりテクストという幽霊を残すのである。テクストとは、それそのものが廃墟の状態にあり、基礎づけ作用であると同時に維持作用でもありながら、そのどちらも完全にやり遂げることがない。そしてそれはその場所に、一定の段階に達するまで、一定の期間、読めるものとしてかつ読めないものとしてとどまり、範例としての廃墟として、それのもつ次のような作用を果たす。すなわち、あらゆるテクストや署名が、法/権利と関係づけられることによってもつ運命について、特異な仕方でわれわれに警告する、という作用である。」☆1
 
 

すぐにテクストの署名者の名をあげておくならば、それはジャック・デリダであり、テクストは『法の力』(1994年)である。

言うまでもないが、このテクストは、デリダが、いわば脱構築を導きながら、にもかかわらず(あるいは、それゆえ)それそのものはけっして脱構築不能なものとして「正義」――という、さあ、なんと言うべきか、観念でも理念でも単なる名でもない、ほとんど「(極)星」と言おうか――を呈示し言明していることにおいて、いわゆる後期デリダの政治-倫理的な哲学思考の支点を指し示すような決定的なテクストである。
 

そして、そこではヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』(1921年)が特権的な対話者として呼び出されていた。

まだ30歳にも満たない若きベンヤミンが書いた『暴力批判論』の課題は、その冒頭の文がはっきりと言っているように、「暴力と、法および正義との関係」を批判的に記述することであった。

この批判は、これもよく知られていることだが、自然法と実定法の区別、さらには法措定の暴力と法維持の暴力の区別などの幾重にも畳み込まれた複雑な襞を縫いながら、究極的には、神話的暴力と神的暴力の区別を超えた区別不能のしかし決定的な区別へと至る。

デリダのテクストは、その主要な部分において、ベンヤミンのテクストのこうした歩みをきわめて正確に、いや、もとのテクスト以上に正確に辿りつつ(誰もデリダ以上にうまくやることなどできそうにもない)、しかし同時に、その最後で、ベンヤミンにとっては究極の「救い」の可能性でもあった「神的な暴力」に対して――ここでは暴力的に言う以外にはないのだが――その思考が、アウシュヴィッツを準備し惹起した「歴史」の思考と同じ「勾配」(これはわたしの言い方だ)に根づいているのではないか、と批判してもいるのである。
 

デリダのテクストは、1989年に行なわれたコロキアムのために準備されたものだからそのとき、かれは59歳くらいだろうか。

明らかにデリダの方がベンヤミンよりははるかに後からやって来た者(1921年、デリダはまだ生まれていなかった!)であるにもかかわらず、『法の力』のデリダはベンヤミンより年老いている。

当然といえば当然、しかしこの老いは単に、両者の執筆時の年齢というよりは、かれらを隔てる「歴史」のゆえである。

これも極度に暴力的な言い方だが、この文脈においては、デリダはベンヤミンよりアウシュヴィッツ分だけ――ということは、取り返しがつかないくらいに限りなく――年老いているのである。

そしてその限りのない「古さ」が、デリダに、若きベンヤミンの「神的暴力」への夢のような希望に同調することを禁じる。

あたかもデリダはあらゆる夢が現実の悪夢へと通じるものであることをすでに知ってしまった老人として語らざるをえないのだ。
 

ベンヤミンは「神的暴力」を「純粋な暴力」とも呼んでいた。

つまり、法措定の暴力、法維持の暴力をふたつながら支配の暴力として批判し、しかもそうした暴力の核心に「なにか腐ったもの」を見い出しつつ、その彼方にあらゆる歴史の「犠牲者」を「受け入れる」純粋性を夢みる。

だが、まさにその純粋性(の夢)こそ危険である、とデリダは指摘し、そしてみずからは「正義の名における妥協」が必然的であることを言うのである。
 

アウシュヴィッツという歴史の災厄――ほとんど「純粋の」災厄とでも言いたくなってしまうが――というけっして超えることのできない火(「ガス」という「火なき火」、「火よりももっと透明で、しかしもっと禍々しいもの」! なんということ!)――をはさんで、59歳のデリダと29歳のベンヤミンが行なう、法と正義と暴力とのあいだの関係についての構成的かつ解体的な、つまり脱構築的な「不可能な対話」、このほとんど鏡像のような、しかし取り返しのつかない差異をはらんでいないわけではない一方的な「対話」のなかに、あるいは西欧20世紀という「時代」の深淵がすっぽりと沈みこんでいるように感じるのはわたしだけだろうか。
 

だが、ここでのわたしの意図は直接にこの「対話」の「深淵」のなかに降りて行こうというのではない。

最終的にはぐるぐると螺旋を描くようにそこに降りて行くことになるのだとしても、とりあえずは、その軌跡の一点から、つまり引用したパッセージから、ある種の接線を描くように、まったく別のテクスト、もはや直接的には法や正義や暴力が問題にならない(ようにみえる)テクスト、しかしじつは秘かに「テクスト」なるものの法、正義、暴力をある意味では執拗に問いつづけていると思われる奇妙な、異質な、みずからに対して異質な、そう、デリダがそこでベンヤミンのテクストのなかからとりわけ強調し標識づけている言葉を用いるなら、「幽霊的な」作品の方へとり憑いてみたいのだ。

そのために、もう一度、元の、ベンヤミン・デリダの二重の文脈を一瞥しておくなら、それは次のようである。
 

つまり驚くべきことに、問題になっているのは警察である。

ベンヤミンは近代国家の警察制度のうちに、法措定暴力と法維持暴力との不自然な、腐敗した混合体を見て、それを「幽霊じみた混合体」(in einer gleichsam gespenstichen Vermischung)と呼ぶ☆2。

つまり、なんと――デリダの言い方によれば――近代国家の警察は、ふたつの根底的な法の区別を、パフォーマティヴに脱構築し、それを「廃墟」にしてしまう。

ところが、ベンヤミンの暴力批判のいっさいはこの区別に依拠していたのであり、この警察の不純に対抗するために、――そしてそれこそがまさにベンヤミンの「天才」でもあるところなのだが――ベンヤミンのテクストそのものがいわば「内向きの爆発を起こす」。

つまり「神的暴力」という純粋性、この最奥の内へとみずからを脱構築する。

『暴力批判論』という「出来事」はそういう「出来事」であり、そしてそれが「テクストという幽霊」を残すのだ、とデリダは言っているのだ。
 

テクストという幽霊――この言葉が、たまたまさまざまな事情からわたしがそれについて考えなければならないでいたもうひとつ別の問題圏へと着地し、無関係であった文脈を引き寄せ、絡ませる。

そう、もうそれを名指さなければならないが、それは吉増剛造さんの「映画」(?)作品集、「キセキgozoCine+'」である。
 

詩人・吉増剛造さんは、もちろんよく知られているように多重露光を用いた独特な写真をずっと撮ってきたが、ここ一、二年とくに「映画」を撮るようになった。

「映画」といっても、多くのスタッフとともに作るような大掛かりなものではなく、たったひとりご自分でホームムーヴィのカメラをもって、みずからの声を吹き込みながら、ある場所を訪ねる「道行き」の行程を「記録として保存する」作品。ひとつひとつは数分から十数分の短いものである。

それを19本集めたものが、今回、DVDにまとまって出ることになった。☆3
 

その全部を見て、そして吉増さんとお話をする機会があって、その興奮が残光のように揺曳していたのだろう、そこにわたし自身にもわからない回路を通じて、デリダのパッセージが、そしてそれを通してベンヤミンの若い思考が、半透明のスクリーンのように重なり降りたということになる。
 

だが、ただちに言っておかなければならないのは、gozoCine+'を見ることは、「見ること」そのものが脅かされ、ほとんど遭難することであるということ。

なにか複雑な仕掛けでそうなのではなく、まるであきれるくらいに単純に、吉増さんがお使いのムーヴィーカメラに備わっている「キセキ(輝跡)」の効果によるのだが、映像はほとんどつねに、その残像のような痕跡が、まさにデリダ的な遅延としての差異(ディフェランス!)として滞留し、われわれはほとんど映像の現前をそのまま享受することができないのだ。
 

もちろん慎重さが要求されるところではあるのだが、わたしとしては、それを映像の廃墟化と言っておきたい。

すなわち、もし対象を「見ること」が、つまりその現前を、輪郭がくっきりとし区別が際立つように「見ること」が眼差しの法措定の力であり、逆に、記憶がそれを維持する力であるとするならば、gozoCine+'で起こっていることは、そのふたつの力が「もはやそのどちらも完全にやり遂げることがない」ということである。

知覚はそれが起こる瞬間に、もはや主体においてではなく、単純に、技術的なレベルで、すでに記憶と「混合」している。

あるいはデリダが好む言い方を用いれば、記憶によって「汚染」されている。

知覚世界はそのままで「幽霊じみた混合体」として立ち現われ、いや、「ずれ現われ」(わたしの言葉だが)てくるのである。
 

「ずれ現われ」るこの世界は、――まさにデリダが言うように――「読めるものとしてかつ読めないものとしてとどま」る。

gozoCine+'のどこにおいても、われわれは見ているものが何だかわからないということはない。

隠蔽も偽装も韜晦もない。

それは読めるものとして開かれている。

だが同時に、われわれはわれわれが見ているものがいったい、どの現在に、どの場所にあるのか、判然とすることはない。

あの花はどこにあるのか、どの時間にあるのか。

それが「ある」「そこ」とはどこなのか。

はたしてそれは「ある」という仕方で「ある」のか。

……そしてすべてが限りなく「読めない」ものとなる。

「範例としての廃墟」となる。

それは、言い換えれば、「文字」となる、ということにほかならない。

「読めるものとしてかつ読めないもの」としての「文字」。

いま、ようやく――たったひとつの小さな電子機器のおかげで――みずからが見る世界が、そのままで「文字」となり、エクリチュールとなる。

見ることがそのままで世界を書くことになる。

ムーヴィーカメラはまさに「ほとんど筆記用具」(nearly stationary)☆4なのである。
 

こうして映画というひとつの装置が、われわれの世界を、そしてわれわれを、そのままですでにして廃墟と化し、幽霊化し、そうして遭難させる。

われわれもいまや、この遭難のなかに随伴してみなければならないだろう……
 
 

☆1 ジャック・デリダ『法の力』(堅田研一訳)、叢書ウニベルシタス651、法政大学出版局、一九九九年、133~134ページ。

☆2 たまたま手元にある邦訳(ベンヤミン著作集1、晶文社刊)ではこの部分は「いわばオバケめいた混合体」と訳されている。この部分のあとのほうでベンヤミンは「文明国家の生活における警察という現象は、どこにも捉えどころがなく、いたるところに遍在する幽霊であって、その暴力も無定型である」(同上、ただし「オバケ」は「幽霊」に代えた)とも言っている。

☆3 発行元はオシリス(03-5485-0991)今夏発売の予定。このDVDには小冊子がついていて、そこには吉増剛造さん、八角聡仁さんとわたしの座談会も収録される予定である。

☆4 gozoCine+'のいくつもの作品では、ジョン・ケージの「Nearly Stationary」の録音が聴かれる。おそらく、その音楽がこれらの作品群の幽霊性を端的に指示しているように思われる。


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