破急風光帖

 

★   日日行行 (128)

2018.01.09

* 頌春
  2018年がはじまって1週間がすぎました。遅ればせながら、本年もよろしくお願いもうしあげます。

 今年のお正月は、ほとんど自宅に蟄居して、なかなか進まない論文を書いていました。自分の精神がほんとうは論文という形式にあっていないことをますます痛感します。その意味では、どうも自分は一度も論文というものを書かなかったのではないか、という気までしますね。
 自分の精神の本質的なPlayの形、それは、いろいろな形式を表面的にはとることができるのですが、基本は変わらず同じである。いつも度し難くYasuo流である、ということを、自分の限界として、同時に、自分の本質として、認めることができる歳にはなった、ということかな。
 であれば、このPlayを、大学という制度的な拘束を超えて、どのように展開できるか、がいまの最大の問いですね。このブログでも、「詩」とか「夜」とかと言った言葉に仮託して語ろうとしていたのはそのことにほかならない。
 まあ、いまになって思うことは、わたし自身、これまで、つねに、現場で行為することにおいて、わたし自身の本質的な形を、つねに肯定しえた、ということですね。結果ではなく、結果はたいしたことがないにしても、行為のその瞬間において、それを肯定しえた。だって、肯定しなければ、ダンスできませんから。転倒しますから。転倒するときは、転倒する自分を肯定するということ。オフ・バランスです。

 今年の春で、これまで3年つとめさせていただいた駒場のIHSの特任研究員を辞めることになります。定年後に猶予された3年間の「未練」の「余韻」をきっぱり捨て去る時がやってきます。この3年間のIHSの活動のおかげで、わたしは、心残りだった、身体行為系の場(ダンス、演劇、ほか)、理系の知との統合の可能性の追求(複雑系理論、量子力学などと人文科学との対話)、学生たちとの海外・国内研修(南仏、洞窟、パリ、オックスフォード、バリ島、インド、ル・コルビュジエ、小豆島/直島などなど)と駒場でやりたいと思っていてできなかったことをやらせてもらいました。しかも、最高レベルの人たちとの協同作業を通じて。素晴らしい知的な刺激でしたし、いや、それ以上に、わたしにとっての「魂」の解放と学びの時でありました。幸福でしたね。それを可能にしてくれたみなさまに心からの感謝です。

 駒場での授業もまだ残っているし、最後の演劇のパフォーマンス(1月21日)もある。2月にはパリ/ロンドン研修にもおつきあいをさせていただきますが、年頭にあたって、今年がほんとうの意味で、人生の区切りの時であるという覚悟をここに書きつけておくことにします。


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