破急風光帖

 

★   日日行行 (112)

2017.10.05

* 「日高理恵子は、人として美しい」ーーという一文ではじまるテクストを書きました。今週、刊行された画家の日高理恵子さんの作品集「Rieko Hidaka 1979-2017」(ヴァンジ彫刻庭園美術館/Nohara)に収められたテクスト「木蓮の木の下で  不可能な距離にさわるように」です。

 今年の春からヴァンジ彫刻庭園美術館ではじまった彼女の展覧会にあわせて出版された作品集。樹を見上げて描き続ける日高さんの40年近い画業が収められています。そのためのテクストを書こうとして、自然と、冒頭に引用した一文が浮かびました。彼女のタブローについて語る前に、彼女自身の(さあ、何でしょう? 心?魂?精神?眼?存在?)「人としての美しさ」に言及しないわけにはいきませんでした。(そう、ついでに言っておくと、アーティストという存在は、かならずしも「人として美しい」というのとはちがう人が多いですよね。「人としてどろどろ」みたいな。思いあたる人がいっぱいいますが、彼女はそれとはまったく違う、しかし途方もないパッションを備えた純粋さを保ち続けている。)

 わたしが東大駒場につとめた28年くらいのなかで、わたしが自分がしたことでもっとも誇れることは、駒場図書館のエントランス・ホールに日高さんの大きな対のタブローを入れたことではないかな。図書館は知の森。図書館の外の森が内部にも枝をのばして、「空」をつかもうとしている。個人的なスタイルというのに汚されない純粋な眼=手。

わたしもまた、そのように、葉をおとした冬の木立であっても、「空」にさわろうと、その「距離」にふれようとするのだ、とあらためて決意しなくてはいけませんね。

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