破急風光帖

 

★   日日行行 (94)

2017.05.25

* ひとりの固有名詞を掲げて本を書くこと。わたしは、友人のミケル・バルセロには小さな1冊(未来社)を捧げたことがありますが、いわゆる作家芸術家のひとりについて研究し、本を書くということをしませんでした。

 40代の頃は、漠然と、ルネ・シャールと取り組もうかと思いもし、駒場の学生をアヴィニョン演劇祭に連れていったときに、わたしのシャールのゼミに出ていた女子学生(ばかりだったのです)を借りた車に乗せてイル・スュル・ラ・ソルグを訪れたりもしたのだったけれど、やはりシャールのフランス語の硬質にわたしには入っていけなかった(それもあって、先日、Lettera Amorosaを読むということをやってみたわけです。これは小さな本にできないかな、とちょっと考えていますけど)。その間に西永さんのポール・ヴェーヌの翻訳とご自身の研究書も出て、これは西永さんにおまかせだなあ、となったのでした。
 今週の火曜夜、昔、ずいぶんお世話になった日本経済新聞の編集委員の宮川匡司さんと、十数年ぶりかにお会いして、おいしい鰻で一杯という機会があったのですが、そのとき宮川さんから、誰かひとりについて一冊書いてください、と言われ、じゃ、いっしょに誰について書くべきか、考えてくださいよということになったのですが、良寛をはじめいろいろ名前はあがったけれど、これという結論が出ませんでした。やはりわたしの頭が「あっちにふらふら、こっちにふらふら」とできているんですね。
 強いて言えば、その候補のひとりは、ヴァルター・ベンヤミンだったのだと思いますけどね。ベンヤミンほど、わたしを世界のあちこちに連れて行った人はいませんから。サン・ジミニアーノ、ナポリ、ワイマール、ベルリン、ポルボウ、もちろんパリ15区。どうしてドイツ語の作家だったのでしょうね。ほんとうはドイツ語的世界の方に魅かれるわたしなのかもしれません。ロマン主義ですかね。でも、ある意味では、わたしはベンヤミンについて、(短いけれど)1冊分書いてしまったのかもしれません(わたしがこれまでベンヤミンについて書いた断片を全部あわせて、それに若干のことを付け加えれば、それでいいのだ、とも思えます)。
 フランス語では強いていえば、アンドレ・ブルトンの散文(「ナジャ」から「狂気の愛」、「アルカナ17番」など)がわたしを一貫して刺激するのですが、なぜか、全体像には興味がない。
 わたしの「師」でもあったリオタールやデリダについても、深い尊敬と愛はあるのだけど、それゆえにか、かれらの仕事を論じて「解説」して一冊書こうという気にはなりません。「研究書」というスタイルを捨てた、別のアプローチを見つけることができれば、試みることができるかもしれないですが。(と書いたら、その瞬間に、わたしらしいアイデアが閃きましたが!!!秘密にしておきましょう。よく考えてみなければ・・・)。
 こんなふうに、いくつか小さな「本」のアイデアが浮かんでくる5月。そのうちのいくつかでも実現できるといいのですが・・・短きかな、この生!ですから、さあ、どうなるか。


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