破急風光帖

 

★  日日行行 (74)

2017.02.21

* 気がつくと結構、間があいてしまってましたね。いまは、瀬戸内海の直島にいます。駒場のIHSのプログラムで院生たちとともに、豊島・直島・小豆島の研修ツアー中。黄昏の海を眺めながら、再開のキーボードを打つことにします。

 この間、予告していたとおり、2月8日から15日までフランスに行っていました。いくらかの用務はあったのだけど、基本的には、なにかを「する」ための旅行ではなく、「いる」ための旅と言うべきかもしれません。(ありがたくも入試業務というものから解放されたこの歳)年度が終った安心感から多少疲れが出たということもないわけではないが、今回は、とくに、自分にとってパリという場所が「いる」場所であるということに深く思いをいたした滞在でした。なにかをする(faire)のためではなく、パリにいる(ëtre)ことが自分にとっては大事だということ。つまり、存在というレベルで、自分がかたく結ばれている(日本をのぞいては)ただひとつの場所なのだということ。そんな感覚を強くもちました。それもあって、フランスでは、ブログを書くことも中間休止したのだ、と言い訳しておきましょう。
 だが、帰ってからは、「する」日常が戻ってきました。いや、非日常的日常というか。「する」というより「受ける」というか。吉田喜重監督・岡田茉莉子ご夫妻にひさしぶりにお会いしてお食事をごいっしょしたり、日本のシャネルの社長であるリシャール・コラスさんご夫妻を主客とする素晴らしい茶会に招かれたり、さらには、写真家・高木由利子さんの映像「引力」に、フラメンコの音楽ほかが絡む実験的なパフォーマンスを経験したり、さらには、無名塾稽古場でおこなわれたチェーホフ「かもめ」の舞台を観たり・・・そして、昨日は、院生たちといっしょに東京から豊島に飛んで、豊島美術館ほかを観たり、レベルの高いアートの世界に浸っていました。いろいろなことを感じ、思い、考えているのですが、入ってくる力のインパクトをまだ消化しきれていないので、かえって言葉が止まります。どのひとつについても語るべきことはあまりに多いのですが、むしろまさにわたし自身の存在を問うということへと思考は窮していく。
 そうなると、いま、浮かぶのは、「かもめ」のニーナが最後に叫んでいた「わたしはカモメ!」かな。すっかり夜が落ちてきた瀬戸内の海に向かって、「わたしはカモメ!」とキーキー鳴いてみようかな。

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