破急風光帖

 

☆ 秋のbillet (4)

2016.11.01

* 「それにしても、わたしは、人知れず、無自覚に、poèteではあったのだったか」と前回、この紙片に書き付けて、そうしたら、その言葉がなにかの封印を解いてしまったというようであるのかもしれない。

 そのとき、そうだ、奇妙なことに、わたしがこれまで書いてきもののほとんど(そうではないものもあるが)は、ポエジーであったのだ、と妙に納得した。なんだ。22歳の頃だったか、自分の詩は真正ではない、と見極めて断念し(一応、最後の詩は、『無心伽藍』でわたしが編集していた『地下演劇』に掲載したのだったが)、もっていた詩集何十冊も一挙に売り払ってしまったのだったが、なに、この年になって振り返ってみれば、結局、わたしはずっとポエジーを書いてきたのではないか、と。「人生においては、あきらめ、捨てたはずのものですら、生き続けるのですよね」と、昨日だったか、神保町のレストランでパリから来た出版社の社長二人(カップルだが)に語っていたりした。同じことは、数理についても言えて、大学の初年度に、早々に志していた物理学はあきらめたのだったが、それでも、おりにふれて、ルネ・トムや、イリヤ・プリゴジン、さらにはアラン・コンヌまでわかりもしないのに、読み続けてはきた。海外に飛ぶ飛行機のなかの読書は、物理数学系のものが多かったなあ、と今にして思う。あきらめ、捨てたはずのものですら、形を変えても、残り続け、生き続ける、そのように(わたしごときに大げさだが)「精神の時間」はある、と思ったりもする。
 しかし、今回、瀬戸内海へ行くのに、出がけにポケットに突っ込んだのは、まったく偶然なのだが、ペンローズの解説書1冊と、なぜか「西脇順三郎詩集」であったのはどうした風の吹き回しだだったか。どちらも古い本で、後者は、もう陽に焼けて古色蒼然。羽田に行く電車のなかでぱらぱらと眼を泳がせていた。そうしたら・・・・(続く)
 


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