破急風光帖

 

★ 日日行行 (61)

2016.10.26

* 今朝は、秋らしい透明な光が落ちてきています。嵐の10月の第3クオーターが終った感じ。少し息がつけるか。

 19日、青山学院の学生たちと新国立美術館のダリ展を観に行き、その後、いくつもの論文指導と講義。講義は、学生の発案でなんとボブ・ディランの「風に吹かれて」の「風」の「輸入」についての討論。なかなかスリリング。翌日は、文部科学省関係の会議が朝から午後まで。さらに東大のIHSプログラムの授業で、夜に、生研の数理工学の合原先生の研究室を訪れて、カオス理論についての対話。その後、席を居酒屋に移して、「脳と意識」についてのこれもスリリングな議論。翌21日は、母親の関係で1日つぶれたのだけど、これも一つの山を越えた展開。
 で、22日は福岡へ。西南学院大学国際文化学部による「国際文化学科創立40周年」の記念講演会。「ラディカルに人であること」をタイトルに掲げて、ホルヘ・センプルンの講演(『人間という仕事』)が取りあげた1935年のフッサールのウィーン講演を枕に、その35年、センプルンの2002年、そして2016年のわたしの講演を重ねあわせつつ、危機からどんな希望を救い出すか、もはやフッサール/センプルンのように、「民主的理性」では対応できないのではないか、むしろ「カオス」を引き受けることにこそ、「希望」がないか、みたいな話しをさせてもらいました。ここでも「激しさ」がひとつのキーワードでしたが。その後の懇親会、さらに中州川端のおいしい魚料理の店での二次会と、博多の夜は更けていきました。
 でも、それでは終らない。翌日は、森田團さん、西山達也さんらの主催する「西南哲学会」で、わたしの『絵画の冒険』をめぐるシンポジウム。森田・西山両氏に加えて、西南学院の美術史ご専門の松原知生先生の3方の発表。それぞれ1時間の力作熱演。わたしの本を契機にしながら、するどい切り込みと独自の問題提起に、わたし、久しぶりにこの分野での刺激を受けて興奮しました。素晴らしい会でした。本を書いた人間にとっては、これ以上のHospitality はありません。自分の書いたものから、新しいことがはじまるというのはすてきです。感激しました。わたしにとっては、幸福な福岡滞在。森田・西山両氏に深い感謝。駒場で教えてこういう人たちと出会えて、よかったなあ、幸せだなあ、としみじみ思いましたね。
 で、ほっとしたのですが、若干の余韻は続いていて、24日は、わたしが評議員をつとめる日本デザイン振興会の懇談会。友人の内藤廣さんや森山明子さんらと、デザインの現在をめぐる熱い議論。そして、昨日は、パリからやってきたパスカル・フラマン、(わが「姉」ということになっている)サンドラ・フラマン夫妻と「風」の編集者ヴァンサン・シュミットさんを連れて鎌倉へ。円覚寺、建長寺、八幡宮などを徒歩でまわってきました。この1週間、ほとんど自宅にはいなかった感じがします。
 いや、これはまだまだ続くので、今夜も青山学院の授業のあとは、パスカル/サンドラさんたちさらにフランスの出版社の社長さんと会うことになっているのですが、まあ、この秋の光の美しさに寄せて、一区切りということにします。
 今週末は、また飛行機にのって小豆島へ。次の週末はソウルへ、です。第4クオーターも激しそう。でも、「冒険」ですものね、怯まず引き受けるのみ。


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