破急風光帖

 

★ 日日行行 (55)

2016.09.04

 9月。秋へ。異なった次元でいろいろなことが起こり、かなり激しかった8月。なんとか通過できて気がゆるんだのか、昨日は、滅多にしないタイプの失態を演じました。あるレクチャーの開始時間を完全に間違えていたという単純ミスですが、大幅遅刻ながら会には間に合ってアナをあけずに済んだのは幸いでした。

 雑誌『未来』で連載させていただいているオペラ戦後文化論の第2弾、なんとか脱稿しましたが、これも、第1オペラとは異なって、人間のドラマというよりは、空間の変容こそが主題なので、なかなかオペラ的にはならず苦労しています。でも、とりあえず明日、校了にこぎつけられそうなので、ほっとしています。一時は、これもアナがあくのでは、と危ぶんでいましたので。
 入院中の母親もすっかり元気を回復しているので、まだ退院はできませんが、これなら7日からIHSのプログラムで南仏に赴くのは可能かな。今回は、桑田光平さんのアレンジメントのもと、ボルドー近くの洞窟(ラスコーⅡも含まれています)とニースに近いヴァンスやビオット、カップ・マルタンなどを、院生たちと、訪れることになっています。わたしにとっては、精神の疲労から立ち直る転回点の風景は、いつもこのあたりでしたから、今回もそれが、新しい光をもたらしてくれることを願っています。心を無にして、秋の地中海の光だけを浴びていたいというところ。というのも、10月がまた、激しい嵐の月となることは予見できるので。すでに京都、瀬戸内、福岡に2度の旅が予定されています。
 でも、今夏、本郷のEMPの講義のなかでも言及しましたが、いま、ミラノで開かれているデザインのトリエンナーレの会場で、なんとNeo-Prehistoryという展覧会が行われている。つまりいま、われわれは、人類史的な転換点にさしかかっているという「感覚」ですね。わたしも深く共有します。だからこそ、そこにひとつのヴィジョンを見たいと思いますね。ラスコーなどの洞窟から出発して、人類がこのヴァーチャル・リアリティの時代に辿り着いているその意味を、なによりも自分の「感覚」から出発して、探りたい。理念ではなく、新しい感覚。しかもきわめて微細な。そのためには、長年の癖でがんじがらめになっている、自分の感覚を、柔らかく保つことを、学びなおさなければならない。それが、昨今の、わたしの最大の課題です。


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