破急風光帖

 

☆ 夏のnota bene 6

2016.08.08

*「麗しい距離(ディスタンス)」とうたっていたのは、吉田一穂ですね。「夜半にさぐり打つ最弱音(ピアニッシモ)」だったか。

でも、たしかあれは、「母への」であったはず。「海の聖母」。そう、直観的には、「夜」とは、そのような「闇」の「母胎」であるかもしれない。そこでは、なんと距離が廃棄される。距離は、まさに「昼」の言葉。数。計算。価値。いつも尺度がつきまとう。でも、「夜」とは、距離がなくなる経験。だが、間違えてはならないのは、それゆえに、かえって「高さ」、「深さ」が現れるということ。けっして距離には還元できない「高さ」、「深さ」ーーーそれを「麗しい」と言ってもいいし、「崇高な」と言ってもいい。麗しくも崇高な親密さである。
 そう、Matrice(母胎/子宮)のなかは「夜」、そこに高く遠く、いくつもの星が瞬いている。この壁の向こう側にそんな「夜」が広がっているのではあるまいか。その広がりを、ほら、斜めに横切って、堕ちていく流星ひとつ。(きみの手の指先がかすかにひかっている)


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