破急風光帖

 

★ 日日行行(1)

2015.06.11

さて、風光に酔っているだけではいけない。少しは「仕事」の話をしなくてはならない。
「仕事」ということになると、現時点では、駒場を退職するまえに終えておかなければならなかったことを、なんとか終わらせること。最大のものは、もう長いあいだ取り組んでいる絵画論あるいは表象文化論のテクストです(この夏には脱稿します、と決意表明)。そして、ここ二年ほど未来社の『未来』誌上で連載している日本の戦後文化論。今日は、その後者の第17回目の原稿を校了したところ。「オペラ」という形式を方法化して、ある種の諧謔ないしアイロニーとともに、敗戦後から1970年までの日本の文化における「肉体」の「運命」を論じているものですが、ついに1968年というクライマックスへと到達したところです。

 1968年という年は、じつは、わたしが東京大学に入学した年で、ここでようやくこの「オペラ」がわたし自身の経験(といっても貧しいものですが)に追いついたと言うべきか。あるいは、わたしが、「戦後の歴史」に追いついたと言うべきか。ともかく、この原稿では、この年の末に刊行された吉本隆明の『共同幻想論』を論じてみて、まあ、自分なりに、短いエッセイではあるけれど、この時以来、わたしのなかにずっと残っていた課題に、ひとつの手がかりだけは得た感じがしました(人生において与えられた「傷」のようなものに真に答えるのに、ずいぶん長い時間を必要とするものなのですよ、それを悟るのが老いというものなのかもしれませんが)。このエクリチュールも、次回で、なんとか結着をつけて、戦後70年という本年の内には、本としてまとめたいなあ、と思っています。

★ 現在、発売中の『文学界』の「反・知性主義に陥らないために」の特集に寄稿しています。そのために読むべき本を1冊あげるという難題に、なぜか選んだのが、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』でした。とても奇妙なことですが、今年の1月、駒場での最後の授業が終わったときに、わが精神のなかにふっと浮かびあがってきた二つの固有名詞があって、それがシモーヌ・ヴェイユとアンドレ・マルローでした。別にかれらを研究をしようというのではなく、ちゃんと読んでみようかな、という感じ。なぜこれらの名前が浮上したのか、に興味があります。もっていなかった原書を取り寄せたので、これから少し読んでみるつもりです(これまでとは違う人を読まなければ、退職した意味がありませんものね)。

★ 6月6日のIHSの授業風景です(見学に来たDe Vos 先生を誘って、白い石をめぐる即興のダンス。写真は、いつもの通りに立石はなさん撮影です。)

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