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【報告】セミナー「ドイツにおける宗教と世俗化」

2008.05.16 羽田正, 世俗化・宗教・国家

5月12日(月)、カールスーエ教育大学のペーター・ミュラー(Peter Müller)氏と彼の妻である宗教教育研究所のアニタ・ミュラー(Anita Müller)氏を迎え、「ドイツにおける宗教と世俗化」というテーマで講演会が開催された。司会はUTCPの第5部門:宗教と世俗化の羽田正教授であった。

講演においてはまず、現在のドイツ社会を規定しているものは何かという問いが投げかけられ、現在のドイツ社会は様々な領域で変わりつつあるということが指摘された。例えば、教育の分野やメディア、さらに人々が世界観および宗教とどういう関係を結ぶかの問題も、変化の只中にあると言う。従って、この社会の現在を特徴付けているものは、「われここに立つ」では無く「~と~との間に(Zwischen; between)」なのである、との指摘が為された。「~と~との間に」が本講演のキーワードであった。さまざまな文化、哲学、宗教、世界観の間に、そして就業と失業の間、余暇と余暇ゆえのストレスの間、「何でもあり」とファンダメンタリズムの間。近代人はこれらの「間」で自分を見つけなければならない状況にあると語られる。その後にいくつかの「間」について検討が加えられた。検討されたのは以下の5つの「間」である。

・ 多元性と個別性と同形性の間で
・ 見渡し難さと単純な解決の間で
・ 経済とイベントとの間で
・ 世俗化と宗教と小さな超越の間で
・ テクストとイメージの間で

例えば最初の「多元性と個別性と同形性の間で」における議論では、多元主義を、現代を解釈するための中心的な概念と捉え、個人主義化を多元主義化と表裏一体の存在だと見なす。こうした、多元化し、個人主義化した社会の中で、自らを位置づけようとする動きが、「新しい同形性」への憧憬を生むとされる。多元性と同形性など一見すると相容れないように思われる諸要素の類縁関係を解き明かし、これら複数の要素の間を揺れ動く「生の形式(way of life)」を浮き彫りにしていく過程は、知的興奮を呼び起こすに十分なものであった。

上のようにトピックを羅列してしまうと、主題である「宗教と世俗化」は数ある「間」の議論の1つなのかと思われる向きもあろうが、決してそうではない。「見渡し難さと単純な解決の間で」の議論では、宗教的な確信に話が及び、単純な解決の帰結として指摘されがちなファンダメンタリズムついての言及がなされた。さらに「テクストとイメージの間で」の議論でも、文化の媒介物がこの数十年間で大きく変わり、イメージ(絵)が文字テクストに勝って文化的なオピニオンリーダーの役割を担うようになったとの指摘がなされる中で、メディアと宗教の関わりについて触れられている。

そしてもちろん「世俗化と宗教と小さな超越の間で」の議論が、本講演の中でもとりわけ重要な位置を占めている。この議論の最初は世俗化についての言及である。学術の進歩、経済的成長、政治秩序、生活の技術化と合理化が近代的な解釈図式をもたらし、それらが社会の中に行きわたることによって、宗教的な解釈が後景に退いて行く。そう理解すれば、世俗化とは個々人と社会の中で、宗教が実体を喪失してゆくことを意味する、と。ただ一方で世俗化の現象をキリスト教の信仰から来る正当な帰結と看做すことも可能であるとし、「世俗化後の宗教性」とか「脱世俗化」といった概念で表現されるところの宗教性が決して従来の宗教の再強化を意味するものではないことが強調された。もちろんこの議論の最後では、これからの宗教の在り方、その意識のされ方については、依然として模索の段階にあることが語られたわけではあるのだが。

講演の最後の節である「すべての椅子の間で、あるいは、その真ん中で?」は、これまでの「間」に対する考察を総括するものであった。ここに至るまでに検討されてきた様々な「間」に人間が坐るにあたって、その坐所がもし宗教性を帯びたものでは無いとするのであれば、そのような場所が宗教に代わって果たし得る有用性は、従来の教会による人々の結合と言う点から見れば、小さいように思われる、と。宗教への信頼を見せる。ただそうした上で、現在宗教の意義が意識されていない状況を指摘し、問いかけに始まったこの講演を、問いによって閉じる。曰く、いったいどうすれば生の包括的な意味解釈としてのキリスト教の信仰は、さまざまな「大きな超越」の間にあって、生の意味を尋ね求める人々に方向を指示するのと同時に、それら「大きな超越」への問いを開かれた状態に保つことが出来るような提案ができるのだろうか、と。

講演の後には、司会の羽田正氏から、今回の議論はドイツのみに留まらず、広く世界的な問題に通じうるものだとの指摘が為された。その後の討議では活発な議論が繰り広げられ、議論がより深いものとなった。今回の議論をエジプト社会のヴェールについての問題に引きつけ、社会にとって宗教的な問題とは人に対してのものであるのか、神に対してのものであるのか、といった羽田氏の指摘を敷衍する質問がある一方で、宗教性を意識しない現在のドイツ社会が意識するものとは何かといった、今回の議論の内実を問うものもあり、さらには「宗教と信仰の間」とは何かという根源的な質問もあった。こうして講演会は盛況のうちに幕を閉じたのであった。

報告: 諫早庸一

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