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【報告】国際ワークショップ「中国伝統文化が現代中国で果たす役割」

2008.04.07 中島隆博, 小林康夫, 田中有紀, 哲学としての現代中国

2008年3月6日から7日までの二日間にわたり、UTCPと「現代中国研究に関するフランス・センター(CEFC)」共催の国際ワークショップ「中国伝統文化が現代中国で果たす役割」が東京大学駒場キャンバスにて開かれた。

これは、中島隆博による「哲学としての現代中国」中期プログラムで進められ、ここ十数年の間に中国で大きく広がってきた「儒学復興」という現象をどのように理解すべきかについて討論する場を設ける企画だ。発表者として招待されたのは、儒教研究者だけではなく、文化人類学者までも含んだ、さまざまな領域を専門とする研究者であった。

冒頭、小林康夫リーダーから開会の言葉が述べられた。近代化が世界を席巻するなかで、資本主義は個を分断し、意味の厚みを失った社会は再び伝統を呼び覚まそうとする。「儒学復興」はその一例だが、しかし、こうした伝統の復興は実は世界中で確認できる普遍的な現象である。ただ、この場合、伝統は、かつての姿としてではなく、むしろ、かつて存在しなかった仕方で再創造されうることに注意すべきである。

以下、発表順に報告する。

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現代中国における儒学復興は単なるアカデミックな文献的・考証学的な研究だけではなく、実践的性格をも備えている、といえよう。「中国文化書院」という民間学術組織の運営者として、大学とは異なる「場所」での儒学教育にも活躍している王守常氏(北京大学)は、自身の実践を踏まえ、「中国における企業文化の現状と考察」と題して発表を行った。王氏は、北京大学が企業と協力して組織する、ビジネスマンを対象とする国学訓練プログラムのカリキュラムをケースとして、中国伝統文化が今日の企業文化研修の中で果たしている役割や価値を分析しつつ、近年の企業文化発展に見られる問題や傾向をも指摘した。

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続いて干春松氏(中国人民大学)が「21世紀初期中国大陸における<儒学運動>の理論構想とその評価」と題して発表を行った。清末になり、制度化された儒家の解体とともに、これまで価値の根拠や政治合法性の根源となっていた儒学は、次第に近代的学術制度、具体的に言えば中国哲学、中国文学、中国史学として分けられる一種の専門的「知識」に引き下ろされていった。しかし、「新儒家」と呼ばれる思想家群をはじめ、近代の新たな社会的・政治的問題に直面した人々は、今日において儒教の持つ意味、もしくは現代的な可能性を新しく問い、その新たな再生を目指す思想活動をずっと続けてきている。干氏は、とりわけ21世紀初期中国大陸における「儒学復興」運動の中で現れた政治体制のあり方に関する多様な構想に注目し、それを明快に整理し、分析を加えた。

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続いて陳壁生氏(中国人民大学)が「神聖生活中の儒学思想」と題して発表を行った。東湖村という中国広東省の小さな村で毎年行われる、古来の神霊や祖霊を招迎する共同体儀礼を基本とする祭祀活動を取り上げて検討し、そこでは「孝」や「忠」などの儒学的要素がまだ非常に生き生きと保たれていることを示した。それは、近代化によって儒学は政治と教育の領域における優先的な地位が制度的には保障を喪失したとはいっても、依然として郷土社会の民衆の生活と信仰に深く浸透して、郷村共同体の集団的連帯や道徳的準則を維持していることを立証している。それゆえ、このような民間の風俗・習慣などに根ざした儒学的遺産を積極的活用することが、儒学の再構築のための一つの可能性としてあり得るのではないか、というのが陳氏の主張である。

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続いて高柳信夫氏(学習院大学)が「儒学復興の始まり?――民国初期の儒教に関するいくつかの言説」と題して発表を行った。1920年代の代表的な「儒学復興論者」である梁啓超と梁漱溟との議論にさかのぼり、「儒学」を以て「中国」を代表させることができるか、「儒学」にとって「孔子」という存在をどう見るか、「仏教」をどのように位置づけるか、そして「西洋文化」と「儒学」の関係における両者の「同」と「異」などの問題を論じた。さらに、こうした問題点は現代中国の「儒学復興」の中で、すでに解決されているかどうかという問いを提起した。

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セバスティアン・ビリユ氏(香港・現代中国に関するフランス・センターCEFC)とジョエル・トラヴァール氏(フランス社会科学高等研究院EHESS)は共同で「教化――教育プロジェクトとしての儒教復興」と題して発表を行った。この発表は、現地での調査を踏まえ、教育事業に関連して「儒教復興」が取る多様な形態を紹介し、その特徴を明るみに出そうとしたものである。「儒教」に基づく教育実践を遂行するのは大学だけではなく、古典的なモデルに影響を受けて新しい形で再生された書院・学堂、そして教育的・文化的使命を自任する企業も重要な役割を演じた。そこでは、現行の近代的な教育制度の秩序との関係から見れば、三つのタイプの戦略が見られる。すなわち、補完的なもの、対抗的なもの、代替的なもの、である。さらに両氏は、この儒学復興に見られる顕著な特徴の一つは、逆説的な反知性主義だと指摘した。これは理論探求より身体を重視し、自身の体験から叡智に触れ自我変革を図るという実践的な傾向に見て取れるが、それ以上に反知性主義を明瞭に示す徴候は、恐らく最近十数年間の驚くほど急速に展開されてきた「児童読経」であろう。それは子供が古典を理解なしにひたすら暗記するということである。そして反知性主義は、儒教伝統の再発見がエリート以外の一般民衆に非常に人気を博してきたことについても、当てはまるとの指摘があった。

翌3月7日、発表・議論が引き続き行われる。まず、中島隆博氏(UTCP)が「戦前日本と現代中国の儒学復興に関する横断的研究」と題して発表を行った。中島隆博は、2007年9月に中国で開かれた「世界儒学大会」における「和の競り上げ」と国際性への強調という事態は、1935年4月に日本で開かれた儒学会議(儒道大会)をはからずも反復したものとみなしうると指摘した。儒道大会では、「支那文化」と日本の「民族精神」を根幹とする「儒道」が作り上げられた。この日本によって再定義された儒学、すなわち儒道の「復興」によって「世界の平和を擁護する」日本の「大使命」を遂行するという唱えは、世界支配を言外に匂わせる。ところが、一方ではそれと際立った対照をなしている孔子像もあった。それは武田泰淳によって解釈された、周という王朝において何重にも周縁化されていた異邦人の孔子像である、との指摘である。そこではむしろ、現代に対して批判的な思考をめぐらすために、儒学復興の新しい可能性が提示された、ということであろう。

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続いて水口拓寿氏(東京大学)が「<中華文化の復興>としての孔子廟改革」と題して発表を行った。国民党政府が共産党政府による「文化大革命」に対抗して展開した「中華文化復興運動」の一環である1968年から1970年にかけての台北市立の孔子廟の改革を、「道統」と「治統」との相互関係において捉えた。水口氏は①国家的祭祀儀礼において釈奠が位置する等級、②孔子に献げられた称号、③配享者・従祀者の内訳と配置、④釈奠に用いられる衣冠、⑤釈奠に用いられる楽曲、⑥釈奠に用いられる佾舞、という六つの変数について、明朝、清朝、国民党政府に定められた孔子廟制度を比較して、国民党政府によって改制された制度では、かつての漢族王朝、特に明朝が定めた儀礼空間や祭祀儀礼が手本となることが多かったのに対して、異民族王朝の清朝の規定が排除された、ということを示した。そして、それはまさに種族革命を唱えて清朝を打倒した国民党政府がその「道統」と「治統」の正統性を主張するためだったのだ、という結論に達した。

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続いて汲喆氏(フランス国家科学研究センター社会・宗教・政教関係研究所GSRL/CNRS)が「以楽設教:児童の国楽啓蒙から大学生の修身へ」と題して発表し、徳音という中国人女性とその「西安徳音文化有限責任公司」による「国楽啓蒙」を紹介した。この「楽教」を以て国学教育を推進した「国楽啓蒙」運動は、当初幼児と小学生を対象としたものであったが、次第に大学にまで拡大し、大成功を収めた。汲氏によれば、この「楽教」は、言葉による規範的な知識の伝授に取って代わり、個人的体得に重点を置き、審美体験を通じて学生の特定の文化と世界観に対する理解を導くのであり、国学を再建する一本の新しい道筋を探し出す可能性を持っている、という。

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最後に、田中有紀氏(UTCP)が「近代中国における国楽と伝統音楽――王光祈と比較音楽学」と題して発表を行った。この発表では、民国初年の音楽研究家である王光祈を取り上げ、当時の西欧における音楽学(特にベルリン学派)、そして同時代の音楽研究家と比較しながら、彼の音楽史研究の具体的な様相を分析した後、次のような問題が提起された。つまり、「民族精神」を養成するために「国楽」の創出に尽力した王光祈は、実際には「国楽」の完成が果たされなかったばかりか、「国楽」が如何なるものなのかでさえ、具体的には示さなかったのに、なぜ80年代から脚光を浴びることになったのか。田中氏によれば、単なる旧楽復興は「国楽」とはならず、外来文化を意識し、選択的に取り込むという過程を経た上で、新しい「国楽」を模索することが求められるため、西洋留学経験者であった王光祈は、まさに外来文化を鑑み、「民族精神」を考慮しながら、「国楽」を模索した典型例とされたのである、と指摘した。

以上見てきたように、各々の発表で「儒学復興」という現象について、さまざまな視点から考察が加えられ、その後、活発な討論がおこなわれた。東アジアの二千年以上にわたる歴史において、儒学、儒教とはいったい何であったのか?何であり得なかったのか?つまり、その理念と現実的限界とを、今、更めて問い直すことは、儒学、儒教の現代的な意義を探索していくことへと展開していくであろう。本ワークショップでは、このように問題を提起し、今後更に議論を深めていきたい。

本ワークショップで発表された9本の発表をまとめてUTCPのブックレットの形で近く公刊する予定である。

(文責:喬志航)

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