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【報告】UTCPイスラーム理解講座第4回 イスラーム的学知の担い手たち:12世紀東イランのある博学者の肖像

2008.02.10 イスラーム理解講座

2月8日、森本一夫准教授(東京大学東洋文化研究所)をお招きして、UTCPイスラーム理解講座第4回「イスラーム的学知の担い手たち:12世紀東イランのある博学者の肖像」が開催された。

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冒頭、森本氏は、イスラーム的学知の担い手であった学者たちの生き様や彼らが置かれた環境を理解することによって、イスラームを遠いエキゾティックなものとしてではなく、「皮膚感覚」を獲得する対象として理解できるようになるのであり、さらにはイスラーム的学知の重厚な伝統に基づく「非西洋」からの働きかけの可能性への探究にも寄与できることを指摘した。具体的には、12世紀の東イランに活躍したイブン・フンドゥクという人物を中心的に取り上げながら講演が進められた。イブン・フンドゥクを取り上げる理由は、森本氏の個人的なこだわりだけではなく、またアラビアに起源をもつ「固有の学問」とギリシャに起源をもつ「外来の学問」の双方に通じた人物であり、二つの系統の学問それぞれのあり方を知る格好な材料であると考えられるからである。

まず注目されるのは、イブン・フンドゥクの著作である。現存作品は7点であるが、タイトルが知られるものは84点にのぼる。森本氏はそれらの著作を分類することによって、1)いわゆる「固有の学問」(宗教諸学、言語・文学、歴史・系譜学を含む、合わせて36点)と「外来の学問」(叡智の諸学を指す、23点)との間の均衡、2)84点の著作の中で、アラビア語は78点に占めるに対して、ペルシア語は6点しかないということから分かるように、当時のイランがペルシア語の世界であったが、イブン・フンドゥクにとって、アラビア語こそ学問の言語であり、教養人士の証であった、と指摘した。

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続いてイブン・フンドゥクの生涯が紹介された。11世紀末にニーシャープールに属するバイハク地方シシュタマド村の地方エリート層であった名家で生まれたイブン・フンドゥクは、幼少時代から英才教育を受け、バイハクからニーシャープール、そしてメルヴヘ、つまり、農村から都市、そして王都へと学びの場を移し、語学・文学、神学に加え法学(いわゆる「固有の学問」)の研鑽に勤しんだ。その後、ニーシャープールに戻り、形而上学、自然諸学、数学諸学など「叡智の学問」(いわゆる「外来の学問」)を治めた。晩年故郷のバイハクであるムハンマド一族の有力者の庇護下に過ごして、1170年にその生涯に幕を閉じた。そこに森本氏は、知の担い手たちにおいての都市農村をまたぐ政治的、経済的、文化的ネットワーク、および、並立しながらも、「固有の学問」それから「外来の学問」という順番もあるという知のあり方、を看て取ったのである。

最後に同時代の他の学者たちをも視野に入れて、「叡智」の諸学の方面で活躍したイブン・スィーナーと宗教諸学の代表としたガザーリーをイブン・フンドゥクと比較しながら紹介して、森本氏は講演を締めくくった。

講演の後、会場からは刺激的な質問が多く寄せられた。なかでも、学問の分類とくに歴史学をなぜ「固有の学問」に帰するのか。イブン・フンドゥクによって作成された出身地方の歴史『バイハク史』は今のいう意味での地方史とはいかなる異同があるのか。実用的な学問が大半を占めていた「外来の学問」には理論的な叡智がどのように位置づけられたのか。さらに現在では「外来の学問」はどう扱われているか、など多岐にわたる議論が展開された。

(文責:喬志航)

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