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【報告】ワークショップ「章炳麟の学術と思想:日本・中国・西洋」

2017.03.24 石井剛, 林少陽

3月1日(水)、駒場キャンパス18号館にて、「章炳麟の学術と思想:日本・中国・西洋」と題するワークショップを行った。招集人はUTCPの林少陽さん、それに、北京から東洋文化研究所に短期訪問中の彭春凌さん(中国社会科学院)、青山学院大学の陳継東さんとわたしが、それぞれ最近の研究課題を持ち寄って相互に批評しあった。かれこれ7年前になるが、同じメンバーに北京師範大学から客員で駒場に来ていた張昭軍さんを加えた5名が毎月のように章炳麟研究会(通称「章学会」)を開催しており、今回は彭さんの来日にあわせて、久々の会合となった次第である。


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なぜ章炳麟なのかということを説明するには、中国における歴史学や哲学のここ10数年来の動向から説き起こす必要があろう。だが、わたしに言わせれば、むしろこの集まりが成立したのは、1900年代、つまり清朝打倒の革命運動が巻き起こっていた時代に、章炳麟がその中心にあり、しかも、運動がここ日本の東京を最重要拠点としていたということと無関係ではない。武力闘争ではなく、専ら革命の理論構築に力を注いでいた章炳麟は、中国におけるあるべき近代のかたちを構想するのに、ここ東京で、当時最も活躍していた学者たちの研究を耽読し、在野の活動家たちとアジア主義的連帯に向けた思想交流を行い、さらには魯迅のようにやがて中国の新文化運動を担っていくことになる若き俊才たちを育成したのである。

その視野の奥行きは先秦諸子百家の哲学にまでストレートにたどり着き、広がりはヨーロッパの哲学や仏教哲学を渉猟するに及んだ。当時の東京が体現していた新興近代の活発な知的雰囲気と中国古典学の重厚な教養とが化合することによって、章炳麟という稀代の学問家は生まれた。それは「東西哲学の対話的実践」の先駆者の姿そのものだとも言えるだろう。彼が起草した「亜洲和親会約章」の英文版は “Asiatic Humanitarian Brotherhood”を掲げていたという(メンバー中のインド人が記したらしい)。アジア的広がりにおける友愛の精神がそこには賭けられていたのだ。朝鮮半島をめぐって日中露間が陰に陽に激しく争った時代を経て、日本がまさにその併呑へ向けて着々と地歩を固めていたときのことである。

日本による一方的な朝鮮半島支配はやがて完成し、さらにはそれから百年が過ぎて今日のわたしたちがいる。この間、「約章」の精神とは正反対の、inhumanなアジア侵略がまさに東京を中心とする日本の軍国権力によって進められた。当初の理想がいかなるものであれ、アジア主義の中に日本のアジアへの帝国主義的拡大を思想的に支持する一面があったことは否めないだろう。帝国主義が覆されることによって実現した平和と民主主義を日本の戦後社会が謳歌している間にも、中国では社会主義の急進化が未曾有の災厄を招き、いまだその傷は癒えていない。だが、とにもかくにも保たれている今日の安定と繁栄こそが、いまこうしてこの「章学会」における新しいbrotherhood(このことばは悪しき男性原理の体現として葬られるべきだが)を支えている。

今回、聴衆の学生たちは多くが中国からの留学生たちだった。わたしたちがいま、東アジアを舞台にして人文学に携わる研究者として何を思い、どんな言葉を発するか、そしてそれを聞いて育って行くにちがいない次世代の研究者たちがどのような未来の希望を現実にしていくか。

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きっとわたしたちが立っているのは岐路なのではない。その先に続いていく道はおぼろだが、それでもたしかにこの先に続いている。

文責:石井剛(UTCP)

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