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【報告】国際力動的心理療法学会(IADP)第22回年次大会(第2日目)

2016.12.07 梶谷真司, 中島隆博, 石井剛, 八幡さくら

2日目、朝の一般公開プログラム「渾沌と神経症―中国の知恵・日本の知恵」では、UTCPの中島隆博氏と精神科医で森田療法の心理療法家である北西憲二氏が対談した。

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中島隆博氏は「歌い舞う渾沌と自らの変容」と題して、渾沌は『荘子』において、南北の神をもてなす歓待の神であったとし、渾沌は『山海経』にあるように歌い舞うことで歓待したのかもしれないと述べた。中島氏は井筒俊彦による渾沌に関する言及を引用している。禅の存在体験において世界はいったんカオス化され、そのあと再び秩序を戻す。たとえば、いちど無化された鳥が、「鳥のごとき鳥」として蘇るように。しかもその「鳥のごとし」は無限に遠く空を飛ぶ。なぜなら、この無化から再肯定へと跳躍する隙間に、カオス化=渾沌への回帰の全量が詰め込まれているからである。こうした「鳥のごとき鳥」には「切断と接続」の運動があり、森田療法の創始者である森田正馬の言う「真人は其独りを楽しむ」とは、「他者との関係を切断した上で、自らを変容させ、その上で再び他者に接続するということ」ではないのかと、中島氏は問うた。

北西憲二氏は、森田正馬の生い立ちと森田療法の成立過程や基本的な考え方を紹介した上で、森田療法における「あるがまま」とは、症状を認め、死の恐怖から逃れるのではなく、恐いものは恐いと受け入れたときに初めて、主体的な営みつまり「これはしたい」という欲求が出てくる、ここまでを含めて「あるがまま」であると論じた。また中島氏の講演を受けて、森田療法における「鳥のごとき鳥」は、患者の中の「こうあるべき」という囚われがぬけて、自在さが出てくることだと述べ、治療者と患者の関係も「こうあるべき」にとらわれず、絶えず治療者と患者の関係を流動的にしていくことが求められると論じた。

中島氏の「鳥のごとき鳥」、「切断と接続」が、北西氏によって治療場面と治療者―患者関係に置き換えられたことで、参加者からの反応も熱を帯びた。心理療法において、治療者は、如何に渾沌となり、患者を歓待し、精神内をカオス化させ、変容をもたらすことができるのか。治療者自身が、毎回のセッションで自身を渾沌へと回帰させることによって、「治療者のごとし」は自在に連想を遊ぶだろう。

午後は、ワークショップ「現代の危機と向かい合う」が行われ専門家向けワークショップと市民・専門家向けワークショップに分かれた。その中の市民・専門家向けの「アゴラ―災害PTSDを越える心理療法コミュニティ―」は橋本和典氏が福島復興心理・教育臨床センターで実践しているプログラムで、これまでも福島第一原発事故をもたらした東日本大震災の被害を受けた多くの市民が通ってきている。福島で行われているプログラムを、東京で開催したことになる。

最初に、高田毅氏による「身体感覚覚醒のための発声練習」で、参加者は靴を脱ぎ、壁の向こうにいる人を想定し、発声する練習をくりかえした。UTCPの梶谷真司氏と八幡さくら氏による「哲学対話」では、参加者による提案と挙手による採決の結果、「なぜこんなに疲れているのか」をテーマに、全員が対話に参加した。そして、「パンドラ・グループ体験」(力動的支持的集団精神療法)が実施された。「それぞれの心の中にあるパンドラの箱を開ける」ことを目標に、橋本和典氏をリーダーにして、一般参加者、哲学者、臨床心理学者が自由連想をこころみた。

日本が経験してきた被曝と被爆は、広島と長崎への原子爆弾投下に始まり、第五福竜丸事件、福島第一原子力発電所事故と繰り返し回帰しており、放射線被曝の苦しみと不安は現在も進行している。危機は続いているのである。この個人と社会から否認されている危機に対して、臨床心理学者と哲学者は、呼びかけて人を集め、個人力動と集団力動をいかしながら、集団のポリフォニーを拡大させ、個人と社会の否認が解除される装置へと集団を変容させる。それは中島隆博氏が前日の講演で述べた「日常の時間にそれとは異なる時間を差し込む」営みである。地域や世代の断絶によって隠蔽されている、私達の(体)内にある危機に、個人がそれぞれの速度で触れることを通して希望を見いだそうとする、この心理療法コミュニティを私達は作り続けていかなければならない。

参考文献
中島隆博 (2012). 悪の哲学―中国哲学の想像力. 筑摩書房

文責:荻本快(PAS心理教育研究所/相模女子大学)

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