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【報告】『大乗起信論』と主体性:近代東アジア哲学の形成そして論争

2016.02.29 中島隆博, 石井剛

去る1月9日、<UTCP-台湾国立政治大学国際会議:『大乗起信論』と主体性:近代東アジア哲学の形成そして論争>は東京大学東洋文化研究所で開催された。会議は予想を超える数の聴衆の参加の下で行われた。

はじめに、本会議の主催者である中島隆博(UTCP)や林鎮国(NCCU)より、開会の挨拶があった。近代東アジアの主体性の哲学が形成してきた過程において、各国が共に注目しつつ影響力を及ぼした伝統的な文献として、『大乗起信論』が典型的なテキストであるという発想で、今回の会議が「『大乗起信論』と主体性」という特殊なテーマになったと紹介がなされた。

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その後、早速ワークショップの本題に入った。先陣を切ったのは台湾政治大学の林遠澤で、「『大乘起信論』の現代における新しい格義――ドイツ観念論から批判理論への転換の試み」をテーマに、ドイツ観念論の代わりに批判理論の立場から、『大乗起信論』を代表とする仏教哲学の新しい格義を行った。彼はまず、ドイツ観念論の理論構造で仏教を理解するのは不適切だと指摘した。なぜなら、仏教は縁起法または唯識への分析を通して、現象世界の「仮名有、畢竟空」を説明しており、現象の背後に本体または物自体の存在を設定していないためだ。これが仏教とドイツ観念論の根本的な差異である。それに対し、批判理論は理性の欠陥以って、現代社会が資本主義のもとで病的な歪みを来したことを説明し、それにより主体の自由が安置されない苦しみと、解放を求める実践的な原動力を明らかにした。そのうえ、カール=オットー・アーペルとハーバーマスが行ったカントの先験的観念論の言語哲学的転換によって明らかになったのは、事物の客観的実在というものは、意識の表象と相対する物自体のうえに成立しなくてもよ良いということだ。これは、『大乗起信論』が言明した「仮名有、畢竟空」と同工異曲である。したがって、仏教の現代的意義は次の点にある。批判理論の示唆を通して、識心に関する病理的診断を現代生活の苦境に対する批判に転じ、大慈悲心で衆生に平等に接すし、主体の自由と解放の可能性を追求することができれば、それは現代における殊勝な意義となるだろうということである。

次に東洋大学の竹村牧男が「井上円了における西洋哲学と仏教の理解について―東京大学における『大乗起信論』の講義等をふまえて」をテーマに、明治時代に東京大学哲学科に在籍した井上円了が『大乗起信論考証』の講義に基づいて、西洋哲学と仏教の統合的理解をしたと紹介した。明治14年から18年まで東京大学で過ごした井上円了は、当時のフェノロサ・原坦山・吉谷覚寿などの諸教官から、西洋哲学や仏教思想の基礎教育を受け、ヘーゲル哲学などの西洋哲学が究明した最高の真理のあり方を会得するとともに、仏教はその真理と同等の真理を語っていると確信していた様子を分析した。特に、ヘーゲルの「相絶両対不二」・「二元同体の理」の思想が『大乗起信論』における「一心開二門」と類似性があり、「起信論の一心より二門の分かるるゆえんは、シェリング氏の絶対より相対の分かるる論に等し。」という円了の両者に対する統合的理解を確認した。したがって、明治時代における日本哲学家に共通する思想的立場もここから窺えるということになった。

第二部は、林鎮国の「起信論と新儒家の主体性哲学」(起信論與新儒家的主體性哲學)と、陳継東(青山学院大学)の「章炳麟の無我説と『大乗起信論』」(章炳麟的無我論與《大乘起信論》)の二つの発表からなる。林鎮国氏の発表は、『大乗起信論』が20世紀初頭にどのように東アジアの主体性哲学の視野に入り、そして影響を与えたかという問題に注目したものである。彼の見方では、『起信論』は近代東アジアの諸宗教と哲学立場の競争・論争のなかで舞台に上がったものである。まず1900年前後のティモシー・リチャード(および楊文会)、鈴木大拙の英訳の刊行があり、次に1902、1918年にそれぞれ起こった望月信亨、村上專精および章太炎、梁啓超らの『起信論』の成立と作者に関する大論争があった。しかし、より興味深いのは、『起信論』にまつわる思想の論争である。論争の原因は、「唯是一心」という形而上学的な原理にある。真如は超越にして内在であり、中核概念としての「本覚」は『起信論』において法身、法界などの概念と同義で、超越性を持ち、究極的な実在の主体と見なすことができる。これは東アジア仏教の重大な理論的転換であった。『起信論』に対する批判において、内学院の論争は1922年の欧陽竟無らの批判から始まる。彼らは真如縁起説を批判し、真如は所縁(認識対象)でしかありえず、正智こそ能縁(認識主体)となることができるとした。その後呂澂らはさらに批判を展開した。それに対し、章太炎、熊十力、牟宗三らは、各自の理解から反論を行い、語義において創造的な転換を実行し、新しい主体性哲学を構築しようとした。しかし、論争の両派は、「理-心」という主体構造を思い描くという点では大差がない。後の西洋哲学の言語論的転回を考えれば、「理-心」の間に言語という媒介を設けることで、独我論的主体をコミュニケーションの主体に胆管すべきである。そうすることで、東アジア哲学の新しい道筋を見いだせる可能性があると結んだ。

青山学院大学の陳継東の発表は、章炳麟(太炎)が『民報』に載せた「辨『大乗起信論』」を手がかりとし、章炳麟(太炎)の『大乗起信論』についての主張を考察した。章太炎の文章において、前田慧雲・松本文三郎・望月信亨など、当時の日本の学者がもった『起信論』が馬鳴の真撰ではないという主張を批判し、文献及び思想の角度から、馬鳴が龍樹より先の人物だと証明した。陳継東によると、章太炎の主張の背後には、中国社会を変革しようとする動機が隠れている。なぜならば、章太炎が嘗て以下の二点を指摘している。一、宗教を以て民衆の信を起こさせ、国民の道徳を増進させること。二、国粋を以て民心の種性を激励させ、愛国の熱情を増進させること、である。それゆえ、馬鳴及び『起信論』の真偽問題は彼が唱える「革命道徳」、また文明・野蛮を用いて国際秩序を規定するのに直接影響を与える大問題だとした。

第三部では、まず中山大学の廖欽彬が発表を行った。彼は『起信論と京都学派』をテーマに、西田幾多郎の『善の研究』と久松真一の『起信の課題』、そして田辺元の後期の宗教哲学を論じ、袴谷憲昭、松本史朗らの「批判仏教」の京都学派に対する批判に反論し、修正を行った。「批判仏教」からすれば、京都学派の仏教理解は、例えば西田哲学のように、一切の「有」を絶対無の場所に「於いてある」ものとしたため、後期の「場所」における無は主客、物我、精神と物質を区別しない状態となり、ある種の根源(ground)、基体(dhātu)と見なさなければならなくなった。「批判仏教」はこの点を好まなかった。しかし、廖氏はこうした批判が次の点を見落としていると指摘する。一、西田が拒否しているのは、まさに理性的主体による独断で、ゆえに絶対無の場所を提唱した。二、後期西田の著作は「静的場所」から「動的場所」の立場に変わり、「批判仏教」はこの点まで掘り下げることができなかった。京都学派の「仏教」はすでに西洋の宗教と哲学と混合しているにもかかわらず、袴谷らは依然として旧来の仏教を基準に教相判釈を行おうとしたのである。その意味において、「批判仏教」の批判は一面的なものに過ぎない。また、久松真一の『起信の課題』は、「即無的実存」で『起信論』の「真如」を考察し、「真如」が自己となったはじめて、他者がそれを感じ取ることができるとした。田辺元は「相依り相俟って」という関係のなかで「空」を理解した。彼の媒介の宗教哲学では、仮が空を媒介とし、空が仮を媒介とし、こうした相互に媒介する流動する状態こそが「中」であり。それは、ある特定の哲学または宗教が、哲学・宗教批判の基準となることがないことを意味する。その点において、袴谷らの批判に十分反論しうるものである。

明治大学の志野好伸は『大乗起信論』に言う「起信」の主語は何かという問題を手掛かりとして、真諦訳、実叉難陀訳、鈴木大拙の英語訳の解釈の違いを検討した。真諦訳、実叉難陀訳では、信や法が存現文の文型で主語として扱われるのに対し、大拙訳では、あくまで信を起こす主体は人であるとされながら、人の主観性が「妄念」として徹底的に批判されていた。真諦訳と実叉難陀訳とを対比しながら、衆生と一括りに言っても、凡夫の人と初学の菩薩とでは大きな開きがあり、信を主体的に起こすことができるのは初学の菩薩以上の存在であって、凡夫の人は、仏や菩薩の力を得て、自らにおいて信が起こるのを体験するしかないことを論じた。これに対して、大拙は、凡夫の人と初学の菩薩以上の存在との区別に注意を払わず、主観性を超えた人間の主体的能力をすべての衆生に認めている。例えば、『起信論』に見える波の譬えについて、大拙はこの「自ずから」という表現を称賛し、「すべては澄みわたり、超自然的な悟りの光線が、あたかも光輪のごとくに我々の精神的人格のまわりで輝く」と述べている。つまり、大拙の理解によれば、ここに出来事としての「起信」は、主観性を超克した高次の自我(「精神的人格」) のもとに完全に吸収されるのである。最後、志野は「大拙の説明は、主体の捉え方について、『起信論』の記述と大きく食い違っているのではないか」と暫定的な結論を下した。

第四部において、政治大学からの若い博士であるJakub Zamorskiが『唐大圓と「起信論」』を題目として、1920年頃の唐大圓が印光法師の影響を受け、欧陽竟無と王恩洋などの論敵との『大乗起信論』についての論弁に注目した。Jakub Zamorski氏の分析には、欧陽や王の『起信論』批判に対して、唐大圓は、仏学が文字に執着してはいけないこと、仏典には一定の法がないこと、仏理には各々の宗門があり、互いに責めてはいけないこと、真如には空と有の両方の意があり、一端に執着してはいけないこと、仏理については歴史的考証にこだわってはいけないこと、という五つの理由を以て、論敵を反駁した。20世紀初期の東アジア思想において、当時盛んになった「批判仏教」(critical Buddhism)の風潮があり、唐大圓はこの風潮に巻き込まれた『起信論』のために弁護した。

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最後の発表者である石井剛は、章太炎の政治構想と『大乗起信論』との関係を紹介した。石井氏によれば、『大乗起信論』で論じられているのは、主体の覚であり不覚でもある、また非覚でもあり非不覚でもあるような、中間的な未決状態にある存在様態である。それは本来的な真如から隔てられ、しかし妄見に満ちた蒙昧の無明状態に甘んじることも潔しとしない主体の実践が懸けられた空間である。石井氏はこのような認識に立ちながら、中国の清末から民国にかけての代表的な思想家である章太炎が『大乗起信論』をヒントにしながら構築した政治哲学を、『起信論』の20世紀初期の東アジア哲学に与えた影響を一つのケースとして、批判的に考察した。特に『起信論』の「若知一切法雖說、無有能說可說、雖念、亦無能念可念、是名隨順」の「隨順」という言葉をキーワードとし、言語と思惟の根本的矛盾や「名」の有限性を把握した上で、章太炎の言語使用を「名によって名に遣る」という言語に実在を仮託することと認識し、現実のレベルにおいては有限の言語に「隨順」するのが偶然でなく、『大乗起信論』における「隨順」の定義を思い起こさせるのではないかと判断した。また、同時に「斉物哲学」の方法論的根拠と同じように、このような「隨順」の具体的な実践プロセスも章太炎の「五無論」「建立宗教論」などの文章から窺える彼の政治体制構想に大きく影響していると論じた。

以上のような問題提起とともに、ワークショップが終了した。全体の総括については、石井剛先生の報告に、ワークショップの背景に関するより踏み込んだ指摘などがあり、そちらを参照されたい。

文責:張煒(東京大学大学院博士課程)・廖娟(東京大学大学院博士課程)

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