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【報告】東京大学―北京大学合同ウィンターインスティテュート(6)

2016.02.05 中島隆博, 林少陽, 川村覚文, 柳忠熙, 新居洋子, 菊間晴子

引き続き、2016年1月に行われた北京大学と東京大学の批評理論に関する冬期インスティテュートについての報告です。今回は、1月13日の模様に関して東京大学大学院の邵丹さんに執筆してもらいました。
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今回のウィンターインスティテュートにおける北京大及び東大教員によるリレー講義も、1月13日に最終日を迎える。初日の緊張感と打って変わって、一週間ほどの付き合いを通じて教員陣も学生陣も「ウィンターインスティテュート」という交流の場に馴染め、一種の落ち着きを獲得する。そのうえ、その日に行われた二つの講義兼ゼミ議論---1, 北京大の蒋洪生氏によるThe Cultural Revolution:The last Revolution?と林少陽先生によるJapanese Postmodern Phiosophy’s Turn to Historicity---は先生たちの十八番とでもいいおうか、長年研究してきたテーマだけあって、おかげで前述の安定感のなかに、思想を戦わせる情熱さえ内含されるようになった。

蒋氏の講義はモロッコ・ラバト出身のフランスの哲学者アラン・バディウ(Alain Badiou、1937年 - )の論説を基礎にした文化大革命についての考察だった。なぜ文化大革命に対して興味を抱いたかという問いに、バディウもまた興味深く次のように答えているという。つまり、「経済発展を遂げていく現代中国は西洋の模倣をしているだけであり、興味を唆られるまでに至らないが、中国近現代史を見通して見ると、唯一中国が世界を巻き込む形にしたのは文化大革命である。」と。確かに、1960年代、革命という劇的な変動の真最中にある中国に影響されて、程度の差こそあれフランスやアメリカ、そして日本も連動を見せていた。その紛れも無い事実を、蒋氏は講義で豊富な資料(バディウからの引用や実際の写真)を用いて立証してみせた。そして、議論の中心になったのはやはりバディウが文化大革命という歴史現象を説明するために、フランスの人類学者シルヴァン・ラザロSylvain Lazarus(1943年-)から借用した概念である「浸透」(=saturation)であった。「浸透」の概念を導入することによって、文化大革命を「内なる視線」で考察することが可能になった。ゆえに、これまでに中国政府のイデオロギーに影響され、海外で氾濫した文化大革命に対する負のイメージは部分的に覆された。

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もし午前中の蒋氏の眼差しが中国に向けられていたとすれば、午後の林氏のそれは日本に向けられていた。近現代日本思想を専門とする林氏のこれまでの研究蓄積があったからこそ、1970年代から始まる最近の40年にわたる日本現代思想の変遷を通時に追うことができたのだといえよう。周知のように、日本の近代化は西洋の文化や思想を大量に吸収・消化する明治時代から始まる。だが、日本をはじめとする東アジアの国々が直面しなければならない問題の一つは、これらの思想の本土化である。形而上学的な思想と複雑な現実のあいだの空白を埋めるために、日本の知識人はそれなりの苦戦を強いられた。講義において、林氏は「モダニズムvsポストモダニズム」という古くからの二項対立を脱構築してみせた。そのうえ、日本化したポストモダニズム思想を日本現代思想へと名づけることで、ポストモダニズム思想の土着化のプロセスを明らかにしたのであった。

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13日の二つの議論を通して、東アジアの現実をより正確的に見定めるためになされた知識人たちによる努力の結晶は目に見えてきたようであった。この努力が一つの流れをくみ、大河になることを祈る。

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